こんにちは、マリーです。
まずは4月4日(木)の体重記録です!
※↓画像はスクリーンショットをまとめたものです
日常でも占い師としても、わたしが普段人と接するなかで意識的ではなく自然とそうしていた内容があったので、そのことについてブログにしたいです。
それは相手のことをこの人はこういう性格だと固めないこと。
いいわるいとかではないけれど、会話をしていて、彼は彼女は〇〇のこういう性格だと言葉にする方が多いことを知ったのです。
昨日も複数の方々と同じ話題について話をしていたとき、わたし以外の方は話題にされていた人物について同一の意見で頷いていました。
いままでもけっこうあったのですが、昨日も話題に対して頷かないわたしは純粋だからと、わたしのこともやはり純粋だという言葉で表現をされました。
純粋や他にもピュアだと言われることが同じ方からあるので、誰かと比べる意識を普段から持たないのでわからないものの、実際に純粋であるのかもしれません。
でもわたしが無意識に、でも時として意識的に避けていた相手の性質を固定しないことは、もしかしたら一般的な思考ではないのかもしれない。
分析とは違うように思えるけれど、人の心や感情を捉えたいと昔から相手の気持ちを考えたり想像することはあります。
分析の意味をいまネットで見ました。そこにも心や人の性格についての表現としてではない遣い方で書かれていました。
けれど人は人を分析したいという感情を持っているのかもしれない。
そこにはもしかしたら自身が納得をしたいという気持ちを含んでいるのかもしれない。
でもそれって少し危険ではと、何よりもったいないと思う。
たとえば昨日の話では、わたしのことを純粋と表現されました。
でもきっとわたしには純粋以外の表現をしたくなる要素も、ましてや純粋と真逆の一面もあっておかしくありません。
そうであっても一度その人の中で形成されたものからは、なかなか移り変わらないように思えるのです。
口にしないけれどわたし自身がしている分析もある。
前回とお会いしたときより感情に〇〇のような移ろいを感じる、見た目から陰を感じるようになった要因は、などと、前回といまとの間の中で移ろいを感じた部分について分析をしていた。
でも一期一会の人ならどうだろう…。
そうだとしたら分析以上に、解析したいなと思います。
あなたの言葉や表情からその核となる真意を掴みたい。
きっと昨日の話題の中で、悲しみのような憤りもあるのかも。
話題の中心の方の性質に対し、そうなんですねと同意せず返答したとき(このそうなんですねは相手の性質に対しては流していて、そう捉えているのですねを含んでいます)、そうだと思っていないのは〇〇さん(わたしのこと)だけでほかの方は同じように思ってるよと言って、他の方が頷いていたんです。
そこから純粋だからねと表現されたことも、少しだけ下に見る感覚を受け、憤りがあるのかもしれません。
わたしと同じように、人の性格などを固定しない方も多くいるはずです。
けれどわたしがよく接する先生と呼ばれる方には人を分析している方がたしかにいますが、どうも種類もあるように思えます。
ブログの記事として書いていい範囲か悩むものの(なので部分削除するかもしれません)、いままで書いた分析の種類をされる方は、わたしと同業種の方が多いです。
占い師として相手の性格を判別し伝えたい気持ちがあるのかもしれません。
わたしが手相鑑定をするとき、あなたはこれこれの性質や要素をお持ちですねと、その方を構成する一部分を切り取りつつお伝えすることがあります。
と同時に気をつけているのは、要素を持っているからあなたは〇〇だと紐付けをしないようにしています。
必ずしもではなくともたとえば「生命線と頭脳線の起点がだいぶ重なっているから、あなたは物事を行う際に慎重に計画を立てる性質をお持ちですよね。」に続く例えで、だから「心配性ですね。」というような紐付けは避けています。
人の感情は複雑で変化もある。
性質だって、気質だって、微細であったとしても。
本質すらも揺るがすような出来事だって生きていく中で起こることもあります。
たとえば「頑固」をキーワードに、わたしが占い師として伝えるとき。
それは「頑固さ」があるという一面であって、もしかしたら柔軟さも持ちたいと願い、頑固さという意志力を曲げない強さとともに、しなやかさを身につけていかれる可能性もある。
だから性格として遣われやすい断固という言葉を伝えるとき、あなたは頑固だ、ではなく、あなたは頑固な面がある、それは〜だからのように、なるべく要素まで伝えられるように意識をしています。
それがいい・正しい、と伝えたいのではないです。
占い師としての表現方法として性格を伝える先生もいます。
わかりやすく、ご相談者も有難いはずです。
先生と呼ばれる職業の中でも、いままで書いたこととは違う分析をしていると思う方もいます。
その方はトレーナーをされています。
その方の分析からは、性格を理解してそこに長所や短所を見つけて伸ばしてあげたい、成長してもらいたいという願いを感じます。
分析の中には分類をするような、相手の性格を固めた上で自分がそれと同種だとか、異種であったとしたら自分はそれより優位だなど順位をつけるような願望が映ってくることもあります。
違いの大きな要因は、お役目と分析の意図の違いがあるのかもしれない。
トレーナーという人を導くお役目がある。だから人を見抜きたい。
もう一方は性格を言葉として捉え、そこから安心感を持ちたいのかもしれない。
トレーナーさんの分析には、立証をするための解析も同時に行なっている。
注意深く観察し変化を見逃さないという気持ちで、そこにわたしは美しさと隠された優しさも感じます。
また同時に、それを伝える強さを必要としますね。
嫌われる可能性も知った上で、状況を理解できるよう分析した結果を伝え、そこへ至る解析も含まれているように感じます。
一方的な非難や批判をしていないか、今日のブログをしっかりこれからも読み返しながら見極めたい。
長いブログを最後まで読んでくれてありがとう。
あなたの心を暗くしてしまうブログとなりませんように。
この先だってそうならないように、言葉が持つ力をもっと多方面に捉える力を持ちたい。
マリー
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