大丈夫?その言葉の祈りをわたしは想う。2024年3月14日(木)体重記録

こんにちは、マリーです。

まずは2024年3月14日(木)、本日の体重記録です。

※↓画像はスクリーンショットをまとめたものです


昨日は午前の9時過ぎに38.4℃まで熱が上がって、すぐに平熱に戻ったけれど頭の痛みや吐き気に耐えられず、医者にかかり適切な薬を処方してもらいました。

薬局から帰宅までの道で、買い物袋をその場に置いて駆け出す女性が目に入り、きっと大変なことだとわたしも急ぐと高齢の女性が転倒されていました。

他にも来てくださった方と一緒に転倒された女性を起こしながら救急車を呼び、その方が押していたカートと椅子のセットになっているもので休んでいただいて、わたしは時間があるので救急車で女性を見送るまで一緒していました。

主だった外傷はなかったけれど、お話を聞くとその日転倒したのは3度目とのこと。

救急車を待ちながら、最初にきっとその女性が転倒するところを目にして一目散に買い物袋を置いて駆け寄った女性の姿に、込み上げてくるものがありました。

いまも思い出すと涙がでてきます。

思いやりの心や助け合いの気持ちに、行動やそのとき的確に判断できること、もしかしたらわたし一人では難しかったところも、その場にいてくれた方々と協力することができた。


昔勤めていた先で、寒がっている方に寒いですよねと話をすることを、上司からわたしへ実際に何もできないならそれは自己満の気持ちだと伝えられたことがありました。

わたしは、寒いときにたとえば「寒いよね、大丈夫?」など声をもらうと、心が楽になって寒さも少しだけ楽になるだろうと思えるけれど、その上司からの自己満だとの話だったり、それを人に伝えたとき、そんな言葉では温かくはならないよとやはり言われたことがあって。

もうどちらも何年か前の話だけれど、それから声掛けをすることや、自分の行いが自己満足になっている可能性があるか、とても考えるようになりました。

でもいま改めて、わたしは誰かの優しさや、治ってもらいたい、良くなってほしいという祈りのような願いには力があると思っています。

転倒された女性が、この先も歩くことを諦めないでいてほしいし、でもまた同じようなことがあったのなら、どうか周囲の人にも恵まれていてもらいたい。

集合意識というものがあるけれど、まずは個々の意識を大切に、自分自身が豊かな心でありたい。


いろいろと心を巡らす一日を過ごし、今日はだるさはあるものの処方された数種類の薬もあってか頭痛は良くなっています。


読んでくれたあなたが、早く治りますようにともしかしたら願ってくれているかもしれない。

そう思ってほしいとか、思わなきゃいけないとかではなくて、そうした祈りがあるのだとしたら、わたしはその思いへのセンサーを持っていたい。


誰かの祈りのような願いが集っていきながら、集合意識がより豊かになっていく世界になりますように。

そして祈りに対して美しい感情であると思える心と、その祈りの力を思えるわたしでありたい。


読んでくれて、ありがとう。

マリー

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この記事を書いた人

30代後半です。
日課にしている体重記録と日々の思いをブログに書いています。
10代後半から精神的な病による入院・再発歴あり。
現在は服薬管理のもと、安定した日常に。
少しずつ自分という唯一無二の存在を愛おしくなるような、自分自身を見つめる時間になるようなブログにしたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします🌿

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