こんにちは、マリーです。
今日は2024年11月27日、水曜日。
今日のブログには体重記録はありません。
ただとても読みにくい言葉が並びます。
でも、どの言葉がいいだろうと、わたしの心の的を当てられる言葉を選べるようにと探して見つけたいという想いで書いています。
できる限り発見したいけれど知識の無さからの誤字もあるかもしれないし、誤った認識のままに言葉を遣っていることも今日だってあると思う。
最初に書かねばと思うことは、今日のブログは届くことを知っているということ。
それは対象を絞ったものではありません。
わたしは、このブログを続けていきたい。
届くということは、作用したということ。
それは数年後だってわたしは構わない。
数十年後もここにわたしがいる自信は正直なかったけれど、わたしはここなんだろうなと思ってる。
数十年先も、ここにいたいと今は強くそれを想う。
なので、読んでくれたあなたが、今日のこのブログが不快になるようなことがあったら、すぐにあなたの心に従ってもらいたいと願う。
だからといって今日のブログが届くことをわたしがわたしの思う『仲間』であると思っている訳ではありません。
それは作用であることを理解しています。
この先も、わたしたちの心に響かないものと出逢ったとしても、そのことにわたしたちは落胆をする必要も、誰かよりなにかそこに不足を感じる必要はない。
わたしは……何故か、これが届くことを知っています。
それは光をも超えた歴史であり今であり、もしかしたらこの先のわたしからのエールかもしれない。
必要なものをわたしは感じ、必要な経験を経て、わたしは行く場所を見つけた。
特別なものなどなく、あたかも自然であって、いつかの過去や未来には、この言葉は実感だけが存在する世界がある。
だからわたしは確実に届いたことを知っています。
ある程度これから書く言葉が並んでから、前文を書きました。
必要な時まで潜めることをこれは選び、どうかわたしたちの暮らす世界がいつまでも美しくあることをここに祈りを込めます。
自分自身、今日のブログをどこまで書くのか、どうやって書いていこうかと、いつもながら終着地も考えずに書き出しています。
でも、こんなことを書いていきたいなっていう想いがとても膨らんでいる今です。
前回のブログをあれからも何度か読み返していました。
自分自身がつくった悪意と向き合った…つもりでいたと思っていたし、実際、しっかりその時わたしは心も神経も研ぎ澄ますかのようにそこへ集中を寄せていたと思う。
ただ、その後から、自分自身の性の転換を感じていたんです。
感じていた…いや、言葉にするとそれは違う。
実際はさっきようやく自分自身でそのことを見つけることができたと思っています。
それはもしかしたら自分自身の力ではなく、わたしが何かを知りたいと、何かの真実を見出したいんだと望み、だからこそ得られた贈り物だとも今感じています。
そうだと知るまでのここ数日間、わたしの性は反対であったと思う。
それも“捩れた“性であった。
ほんとうに、それは縺れていた。
だからそこには怒りがあった。争いがあった。澱を映した。
そしてそれが写したのは真実ではないわたしの姿だった。
でもそれを私ではない、なんて言葉にしてはいけない。
これこそ私が創った世界でその私を通して見せた光景だった。
その反対の性をわたしはやはりそれがわたしであると暫くの間自認していたし、もしかしたらわたしは産まれた瞬間からその姿でいたとすら思い描いてしまうほど納得と強烈な鮮明さがありました。
ただ、さっきようやく、そこから抜けることができました。
怒りを手放した訳じゃない。
その怒りがわたしをずっと守っている愛であることを知ることができたのです。
その愛の正体がいつもここにいたことの愛に、わたしは涙します。
それに気付くまで、わたしは自分の性を疑い、そこにまとわりつくものを敢えて見せられてしまった。
以前もそれはあったし、その時の感覚も闇の念とその実体を炙り出すための虚像だと感じていたのに、わたしはまたもその闇の手を見た。
その世界はわたしが自分の性を雲隠れさせたきっと絶望であって、もしかしたらそれは脳を騙す作用の為に製造された錠剤から得られるような体験かもしれなかった。
その世界に抗う自分と、どこか知らねば人の情を捨ててしまうのではという使命感の錯覚でわたしは自分を失いかけそうだった。
でもそれはきっと愛が見せた景色で、それはわたしの真実ではないことに出会えた。
言葉に出会った。情報に出会った。それが必死にわたしに真実を願った。
そしてその全ては愛だと気付いた。
そんなところにいたの?
と聞き返してしまいたくなるようなところに愛があった。
わたしはだから、愛を信じます。
それはまったくの相違である力をわたしは愛に信じます。
それがわたしであるなどともう思うことなく生きることができます。
その道がどこに繋がるかなど想像はもう必要なく、未知ではないものであっても、わたしにとっての未知でしかないはずなのだろうと、その道は全てに繋がる命で鍵で生命の全てなのだろうと思う。
そこは宇宙などではなく、地球である大地だと知りました。
大地の曲を聴こう。
大地のメロディーを。
その歌を。
それは誰もが知っている場所。
誰もがここだとそこに全てを委ねられる地。
きっとわたしは言う。
「ただいま。 ありがとう。」
ありがとう。
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