おはようございます、マリーです。

睡眠の取れないままの朝。

鳥の声がとってもかわいい朝。

引越し先のカラスたちは、すこし鳴き声が短め。


そんな早朝の時間を過ごしています。

なので言葉もどこかおかしくなっていたり、誤字もあるかもしれません。

後ほどに読み返して気付いたら直しますね。


そして、今回のブログには体重の記録はないので、また後日かな、載せますね。


ブログのタイトルはまだ決まっていないけれど、『守る』っていうことだったりを書こうと思っています。


というのも、わたしは占い師をしている時期があったりなかったりの人生を過ごしていて。

ずっと以前の対面占いでご相談いただいた内容や、電話占い師をしていての言葉を、とくに今晩、強く考えて過ごしていました。


書きたいことは、まとまっていないんです。

だからこそ、書きながら自分の心を見つめたいなって思っています。



「わたしは何を守ろうと、誰を守ろうと、何を大事にして言葉にしているか。」


それを考えたいんです。


以前、占い師を対面でおこなっていたとき、ご相談に来てくれたかたをきっとひどく負の感情におちいらせたことがあります。

そして電話占い師をしていたときにも、珍しいことではないだろうけれど、電話を切られるというかたちでそうした感情を受け取ることがありました。


どちらも同じような相談の内容なんです。

『わたしは〇〇になれますか?〇〇できますか?』


もちろん、そのひとの求めてる返事はイエスです。

わかっていても、言えなかった。


とくに電話占い師をしていて聞いた言葉。

わたしはしあわせになれますか?


そんな言葉。


わたしは、即答であなたはしあわせになれます、とは言えなかった。


理由は書けばたくさんある。

しあわせになれるから、しあわせになれます、とはすぐにそのかたへ言えなかった。


それが本当ではあります。


お金に困窮をしている人に、お金の面で豊かになれますか?

と聞かれたら、きっと「すぐに楽になるよ!なれる!」って言える占い師さんもいるとは思う。

でも、わたしはたぶん開口一番には言うことはできないかもしれない。


それと同じ感覚でしあわせになれますか?

との問いにわたしはまわり道を言葉として選んだ。


書いたとおり、しあわせにはなれる。

でも、だからといってすぐに言葉にしてあげることが、まっすぐに教えてあげられなかった。


とくにその人からの電話ははじめてではなく、そのお心にあるものをわたしはのぞかせていただいていた。


その人の心にある狂気にふれる面やそれに至る話を知っていた。


そんな人が、わたしを頼り、『わたしはしあわせになれますか?』と電話をくれた。


でも、いや違う。

わたしはしあわせになれるとすぐに言わなかったのは、占い結果が外れるのを恐れたのではない。


ただ、わたしは幸せは、“なる“ものではなく“ある“という感覚であると思っています。

だからか、その人の心にはその感覚がいま薄くなっているのだから。

なれる!なんてそうした言葉ではなく、しあわせであることを思いだしていく道を伝えたかった。


わたしの言葉は電話を切られるということで途中となってしまったし、きっと伝わったところもほとんどなかったと思う。

であれば、自分の信念を捨ててでも、わたしは『あなたはしあわせになれる!』と言えたらよかったのかと思ったんです。


もしかしたら、わたしは、目の前の相談者を守ろうとせずに、ただ自分の信念を守ったのかもしれないのかなって。

もしかしたら、その人の命の灯りはとても揺らいでいたかもしれない。

目の前に出したカードから伝わってくるものは、狂気的な心と破壊だった。

そうした心を信じて、しあわせになれる!そう言うべきであったのか。


でも、もし、もしもわたしがそのとき、その問いに『しあわせになれるよ。』と言えていたら。

でもその人はきっとわたしの心を容易に見透かし、それを偽善と捉え、いっそうのこと己を苦しめてしまうのではないか。

そんなことを想像もします。


答えがなくとも、そうであっても最善を常に選択をできる占い師でありたい。

常に、自分の言葉がただしい想いで伝わることはないんだという葛藤を持ちながらも、そうであっても伝われと、あなたの命の美しさに感動しているんだって、そうひとりひとりにそう思っていることをおぼえていたい。


もしもね、そのお電話で聞いてくれたかたのように、もしもあなたが今、自分は幸せになれますか?

って質問をしてくれたら。

読んでいて不安でしたよね。

なれますよ。

大丈夫です。

しあわせへのあゆみの上に、わたしたちはいるのです。

それを思い出すように、わたしたちは知っていくのです。

だから、わたしたちは、幸せという歩みを知っています。



そんなことを回想していた夜。

週末友人に会ったら、同じ音楽を聴くようになったよって、伝えてみようかと思っていた心は、そうしたことを考えていたら、なんでかダメだとブレーキがかかったんです。

ダメだよって。

こわいって。

ダメだよ。



でも、そんなときに、いろいろと力をもらえるような出会いもありました。


そしたら、わたしは友情を守りたいという気持ちや、自分を守りたいって気持ちを優先させて、大事にしなきゃいけない、本当に見つけてあげなきゃいけない自分の感情をふたをしたのだということを思ったんです。


消える縁は消える。

消えた縁は消える。

でも、消えないのかもしれない。

相手も向き合いたいという想いを持ってくれるかもしれない。

わからなくとも、わたしが話さない決断をすることは、その友人を信頼せず、装いの姿でわたしを見せることと同じだと思ったんです。


話す勇気なんてない。

伝わる可能性なんてないかもしれない。

けっきょくはこわくて話せないかもしれない。


でも、心の面で、信頼していても話せなかった自分なら、きっと伝えなかったことが大丈夫なんだと思えると思う。


自分を大切にすることが悪いことではないのかもしれない。

占いのことでいえば、まっすぐに言えなかった自分を責めることはないのかもしれない。

でも、それではわたしは嫌だ。

だって、わたしはあなたを守るために、自分を大切にしたのだから。

自分の信念を守ることが、あなたをしあわせにすることだってわたしはそう思う。


だから、わたしは自分を大切にすることにする。

それが周り巡ったとしても、あなたを愛しているという事実になるはずだと、そう祈りたい。


わたしはしあわせになれますか?

あなたの道をわたしは深く想像し、描き、その苦しみの海の温度を感じました。

その光景にある水の色を感じました。

その景色に光が差し込むことも想像をしました。


伝わればいいな。

届かなくとも、わたしはあなたのしあわせを知っているひとりだよ。

そして、そのしあわせを知っているのは、この地球の、宇宙のすべてだよ。


今日も、愛しています。

届いて、いますか?


2026年6月11日(木)05:40。


マリー