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マリー
30代後半。
日課にしている体重記録と日々の思いをブログに書いています。
精神的な病による入院・再発歴あり。
少しずつ唯一無二の自分の存在を愛おしくなるような、また自分自身を見つめる時間になるようなブログにしたいと思っています。
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容認の自虐を捉えていく中で思えた「お前はどうなんだ?」の精神

こんにちは。マリーです。

まずは、2024年8月20日(火)、21日(水)、22日(木)の体重記録です。

↓画像はスクリーンショットをまとめたものです


明日、とても好きな場所とそこにある映画館に「ラストマイル」を観に行くことにしました。

先日、主題歌の「がらくた」から書いていた日記の一部をブログにしていたのですが、いまは非公開にしています。

理由は一つではありませんが、映画を観たことで捉え直しをしたいとは思っています。

捉え直したらその内容をブログにするかはわからないけれど、その後にもしかしたら先日の日記からの思いのブログを再度、加筆等はせずに公開に戻すかもしれません。


「がらくた」を通して米津さんのインタビューを読んだり見聞きするなかで、自虐というもののパターンに、容認の自虐という解釈もできることを知りました。

でも、わたしはまだこの理解ができません。

だから考えていきたいし、自分の思考を捉えていって見つめたいと思った。


話を映画に少し戻すと、映画は学生時代の図書館にこもってずっと観ていた時期があったり、小さい頃もケーブルテレビでたいてい映画を観ていました。

でもその学生時代、英語の授業でみたある映画を機に、わたしの世界が崩壊し、その日を境に目に映る人たちが全て影になり、恐ろしさから発狂して壊れ、統合失調症のわたしが形成されたこともあって、映画に対して慎重にはなってしまうところはあります。

でも映像だからこそ伝えられること、受け取れることもある。

それを明日は受け止めたいと思う。


米津さんの話す、容認の自虐というものを否定したいというわけではない。

でも、わたしが理解できないと書いたことをもっと掘り下げたい。

インタビューで語っていた自虐には3パターンほど捉え方があるそうで、そのうちのひとつが容認の自虐とのこと。


わたしは、人生は己の中の容認の自虐を知っていくことにも思えるんです。

そしてそれを見つけられた事実を、自虐と呼ぶのだろうか…とまずは思いました。

たとえばわたし自身の体型で、とくに写真を見て思うのは、頭身の少なさからドラえもんのようだと思っていて、もしそれを表現をすることは自虐になるのだろうかと思って。

わたしはそれを自虐とは思わずにいます。

そして誤解されるとも思うけれど、美しさがあるはずと思う。

表現をした言葉に対してではなくて、捉えるということに対してです。

うまく伝えられないだろうことを覚悟して言葉を続けていきます。

でももしかしたら、米津さんの話す壊れていてもかまわないんじゃないかという表現ときっと繋がっていくものが見つかるかもしれない。

けれどいまのわたしはがらくたと自虐を紐付けることは難しい。

映画を観たらまた解釈は変わるかもしれない。


でもきっと、米津さんがこの曲のがらくたを容認としての自虐というくらいなのだから、きっとわたしのいう美しいなんて、ある意味で綺麗事のような片付け方にあたるものではなく、本当に己と事実と社会と心の葛藤を含んだリアルなのだろう。

でも、わたしがなぜ、美しいと表現をしたいか。

それはすごく「生」をそこに感じられるから。

それはある意味で対極との融合であって、とても命を感じそれは生きていることだと思うんです。


米津さんの友人の方のお話も心にいまある。

詳細は音楽ナタリーのインタビューにも書いてあります。

リンクの掲載は可能なはずなので、載せますね。

https://natalie.mu/music/pp/yonezukenshi28

そこには『「壊れてたってかまわないよ」と言えたらよかったのかなと今なお思うんです。』とある。

その言葉や想いを否定したくは絶対にない。

けれど、そのときもしもそれを伝えてしまったとしたら、その友人はもしかしたらではあるけれど、重たい渦の中心にいる考えを深めたかもしれないと思うんです。


これは私事だけれど、30代の統合失調症を再発したとき、病院へ向かうときに警察へ「これから行くのは研究所なのだろう?」と聞いた日があった。

きっと警察は話を合わせることが最善だと思ったのだろう。

その問いに頷きました。

米津さんの友人の件と状況は違うのはわかる。

でもその友人の方は自身を「自分は壊れてない」と言っていたのだとしたら、それを否定することなく「そうなんだ」と受け入れて帰宅され、「壊れてたってかまわないよ」と言えたらよかったのかなと思うことがあるのなら…。

壊れてたってかまわないよと言っていたら、その言葉の真意には、どんなあなたであってもその状態を受け止めていくというものがあったとしても。

もしもの話です。でももしかしたら、それはその友人の、“自分は壊れてない“という自身への問いでもあるような、その言葉へのアンサーになるかもしれないと思ったんです。

わたしはその友人の方に、ゆっくりとその世界の先にある自分を見つけていってもらいたいと、勝手な願いを抱いてしまいました。


わたし自身は、統合失調症の再発時の警察へ言った「これから行くのは研究所なのだろう?」の問いには、本当のことを教えて欲しかった。

病院へ行くと、教えて欲しかった。

その病院でも、わたしは統合失調症を再発したから入院することになると説明が欲しかった。

ただ、もしかしたらこのご友人の方は、事実や客観的なアンサーを求めてはいなかったように思えます。

「壊れてたってかまわないよ」

その言葉を友人の方が受けとめるには、自身を受容したり、社会の中の自分の可能性をもう一度捉えていった先にできることだと思えます。

ご友人の心はその方のもの。もしかしたら自身の気付きにもなった可能性もある。救いにもなったかもしれない。


私の話ではあるけれど、警察に対して「研究所に行くんでしょ?」という問いは、決して同意をして欲しかったわけじゃなかった。

教えてほしかった。

「今」を教えてほしかった。

しかしわたしはそのとき壊れていただろう。

でも、壊れてるわたしの話に合わせてほしかったわけじゃない。


ご友人は自分のことを壊れていないと言っている。それは自分自身にあるアンサーかもしれない。

壊れていてもかまわないという、壊れたことを受け止めた先のかまわないは、もしかしたら米津さんのアンサー。

それは状況は違えど、私が警察からもらった、頷くというアンサーのようにもなってしまう可能性も否定できないとも思うんです。


全てが正解の道で生きていける人はいない。

でも、私は米津さんがそのとき言うべきだったろうかと思う言葉に対しては、そのときの状況からは、正解なんてない。

という結論は出ないものになりました。


けれどこれで考えを終わりにしたくない。

改めてインタビューを読むと、米津さんのいう容認の自虐は、恐れでもなく、優しさ気遣いでもない、明るさのあるものということ。

今のわたしの思考で言葉にすることが難しいけれど、わたし自身がこの容認の自虐ではない、気遣いからの自虐を先日行ってそれが心にずっと引っかかっているんです。

その言葉を受けた人はとうに忘れているくらいかもしれなくとも、わたしの心に引っ掛かりが生まれた。

それとは違う、容認のカラッとした明るさの自虐…。

わたしがその境地ではないから理解ができないのか…。

改めて自虐の意味を読むと、自分をいじめ苦しむことのよう。


以前、わたしの書いていたブログの内容を思い出しました。( https://merry-merie-lemon.com/re-posting/

その日のブログでは、「お金がない」という「ない」に目を向けるのではなく、「ある」ものに視点を向けることの大切さを話されるスピリチュアル関係の発信をする方の言葉から思ったことを書いています。

それと米津さんの話すことを紐付けたいのではない。

でも、「お金がない」などそれを言う人に自虐の意が込められていない場合があると思うんです。

わたしは「お金がない」というのは現実を表現する事実としての言葉に思えた。

それは変わりたいという祈りを感じます。


「二人はがらくた」や「ただのジャンク品」には容認の自虐がある…それは明るさのある…どうしてもまだ紐付かない。


もしかしたら、よくわたしのことを純粋だと表現する方がいるけれど、一般的にはすぐに理解できるのに、わたしが純粋なところが多くあって、それゆえ紐付かないのだとしたらとても危険だ。


ブログの初めに容認の自虐を美しいと感じたと書いたのは、わたしは「お金がない」にも言えるのですが、「がらくた」の言葉も「ジャンク品」にも、わたしはそこに悲観を感じないところがあるからです。

それはもしかしたら多くの人の解釈と異なるのだと思う。

だからわたしには容認の自虐がわからないのだろう。

“お金がない“、それは事実であって、そのことが善悪でいう悪とは思えない。

“がらくた“からは、わたしはそこに強さを感じるんです。

がらくた、ジャンク品、そこに至るまでの歴史というか。


そもそも米津さんの「がらくた」という曲には“壊れていてもかまわない“というテーマのようなものがあるはず。

きっと、自分のことをがらくたと表現するのは、弱さを受け入れた後のこと。

それはとても恐いことでもあるはずだと思うんです。

それを乗り越えた先にある言葉が“がらくた“だと思えるから。

だから強さを感じるし、美しさが宿っているようにもわたしには思える。

そうするとわたしの捉え方は、米津さんがこの曲に宿したかったものと捉え方が違うんだろう。


そしてまた米津さんのご友人の方の言葉を想う。

そして、もしかしたら今日のブログは「がらくた」という曲や、米津さんをけっきょくのところ否定していたり、追い詰めようとしている行為に思えてきました。


わたしは、の話かもしれない。

ある企業の社員でいた時期、人が信じられなくなって、それこそ統合失調症のような症状の再発をしかけて、でも自分は間違っていないと信じきっていて、友人に会社での出来事を話をしたことがある。

もしかしたら米津さんのご友人の状況と全く似ていないものではないかもしれない。

まだ社会に出ると浮いてしまう自覚もない頃で、それこそ熱意に燃えて就職した頃。

その会社で、あるイベントの準備をわたし含め3人で行うときがあった。

わたしは入社してまだ一月も経っていないくらいで、初めての業務でもあったので指示をもらいたいとお願いしたところ、視界に入っていない人のようにスルーされる。

いつもは周りに誰かがいるととても親切そうにしてくれる2人。しかし3人で仕事をすると一切わたしの問いかけへ返答がなくなった。

そのときは気付かなかったが、いじめのようなものであったと思う。

だんだんと不信感に繋がり狂いそうになってきて、その出来事だったりを友人に話し、統合失調症が再発しそうだと相談した。

もう10年近く前のことだったし、そのとき精神的に崩壊を感じていたので覚えていることは少ないかもしれないけれど、ファミレスのあの座席で話したな…ということは思い出せる。

どちらかというと、友人からはわたしの話を、たまたまそういう状況になっただけだというような、否定のような言葉をもらったことを覚えている。

その友人の言葉は、わたしを否定しているようにも、攻撃にも思ってしまいそうなくらい、当時心は壊れかけてた。


幸い、そのときは入院はすることはなかった。一人暮らしでいたこともあって、自分で自分の心を見ていく作業をする中、徐々に戻っていく感覚があった。

その後の精神的にも落ち着いた頃、相談した友とも共通の、今も先週会うような仲のもう一人の友人にそのことを話すと、何度も起き上がるわたしはゾンビだねと大爆笑。

わたしもほんとそうなのかもと爆笑。

ゾンビと表現するその友からは、わたしが渦の中心によく入っていってしまうことをその後も教えてもらったりしています。


そして改めて当時、ファミレスで友人へわたしが間違っているのかな?と問いかけたとき、友人からはどちらかというとそうだと思うとの方向で、会社の人はたまたまだと思うと言葉をもらったとき、わたしはけっこう辛かったことを思い出した。

だからというわけではない。でも米津さんが「そうなんだ」と、否定もしないで「そうかもね」みたいに接したこと、わたしは涙が浮かびました。

きっとあの日のわたしが欲しかったものにも思えるから。

でも、欲を言えば、わたしはそのとき友人にわたしに共感してもらいたかった上で、大丈夫だよ、と言ってもらいたかったかもしれない。

そういった意味で言えば、壊れてたってよくないか?の言葉は、わたしの場合の、“大丈夫だよ“であるのかもしれない。


コミュニケーションについて米津さんの解釈を聞くことでわたしが思うのは、人と向き合うことやコミュニケーションは、自分の中の不足に気付いていく作業の繰り返しに思えるんです。


わたしの場合、その当時、相談した友人からは共感とは違う言葉をもらったかもしれない。

それは痛かったけれど、ある意味、渦の中心にいることへの気付をもらえたと思います。


ご友人の方も、もしかしたら米津さんに言ってもらいたい言葉があったかもしれないし、そうではなく、吐露したかっただけかもしれない。

どちらであっても、わたしは米津さんの行動やその後の心に対して、正解や不正解などと解釈をしたいんではないはず。


自分と違う性質の人がいる。その事実を理解しようと努め、容認し、その差を埋めるのではなく、その差に有り難みというか面白さというか、それは自己との対話も繰り返しながら、不足に気付いていくこと。

その不足は、足りないというような負の感情からの意図ではなく、気付きである不足。

流れていってしまいそうな感情や、見たくない心の面を、常に「お前はどうなんだ?」って問われているような意識。


わたしはこの「お前はどうなんだ?」と問いかける声と常に共存してきたところがあります。


ブログを書く手を止め、つい先ほど母親と戦争の話をしました。

わたしも当時一緒していたけれど、長崎の資料館に行けた体験のことを改めて思い出させてくれたり、母の思う戦争の惨さの話を聞きました。

そして、8月13日のブログにも似たようなことを書いてはいるけれど、戦争でなくとも、孤立や、心の痛みなど、心を失っていくような人を広げていかない世界をつくるためには?との話もした。


わたしは学生の頃、戦場カメラマンの写真をよく見ていた時期があったり、報道写真の雑誌を購入していたことがある。

直視は難しいものが多かった。

こんな世界は嫌だと心底思った。

同時にそこへと焦点を当て過ぎてしまうのも、心の負担が大きかった。

それに、人間は戦争を知ることで、相手へ怒りの感情をつくることもある。

悲しみや辛さを知ると、相手へ報復したいという感情を生むこともある。

母とその話をしながらも、やはりこれから先は、幸福とはなんだろうかと自らに問いかけていき、平和とは?と考えていくことも、育てていく感情の中で必要に思えたんです。


その問いかけや、自問を繰り返しながら生きていくことは、小さな積み重ねであっても、幸福な世界を築いていくことに繋がるはず。


米津さんが、壊れていても構わないんじゃないかという、もしかしたらその人生で問いを重ねただろう中で見えたものがあるとしたら、わたしはそれはめぐりめぐって、平和や幸福に繋がる精神に思えます。

勝手な解釈を作ってしまっているとは思うけれど、ご友人の方へかける言葉がもしかしたら大事なのではなくて、その問いかけを常に失わないでいることが、本当の救いにつながっていくだろうとわたしは信じたい。


この先もわたしはわたしに問いかけたい。

「お前はどうなんだ?」と。


マリー



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この記事を書いた人

30代後半。
日課にしている体重記録と日々の思いをブログに書いています。
精神的な病による入院・再発歴あり。
少しずつ唯一無二の自分の存在を愛おしくなるような、また自分自身を見つめる時間になるようなブログにしたいと思っています。
よろしくお願いします🌿

コメント

コメント一覧 (3件)

  • マリーさん初めまして!
    占いで大変お世話になったとある客です。
    文章拝見しました。
    私と違い考察に富んだ文章で、すごいなと思いました。残念ながら私には意見を添えられませんが、このコメントでいいね代わりとさせていただきます!

    今後のマリーさんの人生が幸せでありますように〜

  • こんにちは!
    メッセージをありがとうございます。とても嬉しく思います。
    そしてとても自分自身でも重たい感情を伴うブログだと思った日のものを読んでいただけたこと、申し訳ないなという思いと有難いなという気持ちが一緒にあります。
    でも感謝の気持ちが大きいです^^
    ありがとうございます!
    大切なことは鑑定時お話が出来たと思うものの、もしまたいつの日かご自身の道のりに対し、これは確かなものなのか?と誰かの言葉を必要とするときが来て、私のことが浮かんだとしたら、お声がけを遠慮なくお問い合わせからでもしてくださいね!
    むしろ無理はありますがお友達としてお話していたいくらいです笑
    一期一会。わたしの大切にしている言葉でもあります。
    その一瞬一瞬のかけがえのなさを忘れないように生きたい。
    そう思うので、この先お会いする機会やこうしてメッセージをすることなくとも、人生の歩を共に自分に恥じることのない、それは自分の人生に嘘をつかない精神でお互いに生きていけたらいいなと思えもします。
    でもそれは私の生き方であって、メッセージをくれたあなたさまにとっての揺るぎないものやその精神はきっと心に備わるように存在しているものだと思っています。
    その揺るぎないものをきっと私も、あなたさまも、この先に明確に思い出していく。
    その歩みでいけたらいいですね!
    それでは、どんな姿もお互い誇りを持って楽しんでいきましょう!!

  • マリーさんご返信ありがとうございます。
    確かに一瞬を大切にしようと言う先生の姿勢は、占い中でも伝わって参りました。そして、ご自身の信念を相手に押し付けないところも先生らしいと思えます。
    私は決して揺るぎない精神の持ち主ではありませんが、自分で正直に生きたいと切に願います。
    お互いどうか健康でいましょう。先生も私も夢が叶いますように。またお世話になるかもしれませんがその際はこうしてお話しさせて頂けると幸いです笑笑

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