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マリー
30代後半。
日課にしている体重記録と日々の思いをブログに書いています。
精神的な病による入院・再発歴あり。
少しずつ唯一無二の自分の存在を愛おしくなるような、また自分自身を見つめる時間になるようなブログにしたいと思っています。
よろしくお願いします🌿
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当事者の視点と意識。多くを受け取らない姿勢。

こんにちは、マリーです。

6月6日以来のブログになりました。

今回は思いのブログです。

体重記録はまた後日になるか、別に載せますね。


いま、10年近く前のできごとを思い返していました。


それより時をだいぶ戻り小学生の頃、社会科の先生が奥様を亡くされました。

同級生と葬儀に参列したあの夜の景色。まだ幼いながらに大切な人を失うことの大きさを感じました。

その先生はとても厳しく、まだ10歳くらいだったわたしたちの間ではピリッとするような授業の時間は恐怖の対象にもなるものでした。

でも、普段はその見た目で偉人に似ていることから、名をもじった愛称で呼ばれるくらい、みんなから信頼と愛を受ける先生でした。

後日、その先生が伝えた言葉をわたしは今も忘れずにいる。

大切な奥様が亡くなったことの苦しさを語り、自分はこの先にその悲しさからホームレスになるかもしれない、と。

その可能性があることを。

小学4年生くらいだった私達へ言うのです。


その日から、ホームレスと呼ばれる方はわたしの世界の内になりました。

人は、大きな出来事や、他人からは些細に思えるようなことであっても、その人の世界を変えてしまうことがあることを知ったのです。

全ては、目に入る世界で起こる出来事は、自分と無関係の世界ではないことを感じました。


10代の後半、わたしは戦場カメラマン、報道写真の世界にのめり込んだ時期がありました。

統合失調症を発症するまで、休日にはロバート・キャパの写真展や、一ノ瀬泰造について、本屋では報道写真の雑誌を購入したり、その雑誌の目を引いた写真家の方が日本で講演を開いた際は赴きました。

平和を祈るために、その世界を願うために、わたしが生きているこの地球の知らない現実を知りたいと思いました。

26歳になったら、一ノ瀬泰造が消息を絶った地へ行く。その未来を描いていました。


もう手元にはありませんが、その報道写真の雑誌の表紙を記憶しています。いくつかあった中の1冊はとくに直視は難しい写真でした。

なんというタイトルの雑誌であったか覚えてはいません。

大きな書店で購入していた洋書であったかもしれません。

調べても出て来ませんでしたが、多くの世界の現状を知る機会になっていました。

いや、〇〇JAPANだった。

そのキーワードで調べたら出てきました。

『DAYS JAPAN』

当時この雑誌を書店で購入していたか、もしかしたら年間購読していたかもしれません。

日本で講演した報道写真家のお名前がエブリン・ホック〜だったと記憶から当時購入していた雑誌をいくつか目にし、確かその方の撮影した写真が表紙になったものを見つけました。

誌名: DAYS JAPAN(デイズ ジャパン) 5月号

創刊: デイズジャパン
発売日: 2005年04月20日


この表紙をおそらく撮影された方が、Evelyn Hockstein(エブリン・ホックシュタイン)という報道写真家の女性で、2005年の秋頃に東京の杉並区で講演会をしていた記憶があったのですが、6月のイベントは見つけられたものの、秋頃について書かれている情報は見つけられませんでした。


10年近く前のできごとを思い返してから話が方向を変えつついますが、その10年前のできごとについてはまだ触れていませんでした。


冬の寒い夜です。

屋根のある商店街に、きっと帰る家がないだろう方が座っていました。

わたしはリュックからカイロを確か3個その方に渡したんです。

貼るタイプを2つ。貼らないものをひとつ。

一度その3つを受け取ったその方は、お礼とともに、貼るタイプは一度(衣服を)脱がなきゃいけないからと、貼らないものをひとつだけもらってくれ、他の2つをわたしへと返しました。


わたしにはそのとき気付くことができなかった。

あたたかくなればいいと思った。

その方にとっては、寒い日に衣服を動かすことは厳しいことだった。


でも、今思うと、本当にそれだけであったのかな。


当時、わたしは全てを本音と受け取った。

当事者意識に至らなかったわたしの心を反省した。

その方は、わたしの勝手なカイロを受け取って欲しいという願いに対して、ありがたそうにしてくれていた記憶がある。


あの頃、手持ちのカイロのそれが全部貼らないタイプを持っていれば…と思った。

その方の、脱がなきゃいけないというのは、受け取らなかった理由になるのだろうけれど、もしかしたら、わたしの分がなくなることを気にしていたのでは、と今考えが出た。


でも、事実だけを追ってもその方は全てを受け取らなかった。

いま自分に必要とするものだけ、その最小のものを受けとることを選択した。


世界的にもきっと、貧困や日々の食事を満足にとれない人が多くいるはず。

それは世界に目を向けた話ではなく、この日本であっても。

もしかしたらわたしが手にしなかったものによって、誰かの命を作る生命の力になる可能性がある。

多くを所有しない、必要のないものを欲しない。

言葉にすると当たり前のように聞こえるそれを、わたしは意識が薄いと思っています。


当事者でないとわからない、見えてこない視点が存在してしまうこともあるだろう。

けれど、わたしは想像することのできる、思いを寄せることのできる、人間だ。


生み出すこと、発言をすることを恐れるのではなく、時に間違った道になったとしても、いつまでも想像をする力があることを忘れることなくありたい。

多くの視点を抱き、善悪からの判断ではなく、受けとる方によってそれがプラスにもマイナスにも働く可能性が存在することを知りながら。


どこまでも当事者へと想像と思考を寄せながら、必要としないものまでも所有しようとしない精神を養っていく。

わたしはその心を育てたい。


あなたが今、何かを思ってくれたとしたら、きっとあなたはわたしのこの世界の仲間です。

一緒に、素晴らしい景色を、どこまでも描いて、創造していきましょう。


マリー


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この記事を書いた人

30代後半。
日課にしている体重記録と日々の思いをブログに書いています。
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