おはようございます。マリーです。
前回のブログを消さなくては…とあれからの数日ずっと考えつつ、読み返してはまだ非公開にはできずにいます。
でも、ブログが消えてしまうことだけでなく、いなくなる、いままで存在していたもの、目に映っていたものが消えるって、わたしは自分の心を優先して削除をしているけれど、それを知っていた人からしたら、どんな想いになるのだろうかと、わたしはその気持ちを思うことをきっと避けている。
わたしの好きなことばは、学生の頃からだったかいつからかはっきりこの日を境にということはないけれど「一期一会」をあげていました。
いまは好きなことばというよりも、大切にしたい精神の一つに一期一会を思っています。
それは人が好きだという、わたしが純粋に思っていたところからきています。
引っ越しの準備から棚の整理をしていたときに、小学生の頃の卒業アルバムがでてきました。
そこには『もしも生まれ変わったら?』のお題でみんながそれぞれの生まれ変わりたい存在を書いていて、わたしはそれに対して「そら」と答え、理由を“上から地上を見下ろしてみたいから!“としていました。
いまのわたしであっても、生まれ変わるなら空はいいな、と思う。

ただ、上から地上を見下ろしてみたいからとしていた理由だけれど、5歳くらいかそれより前か、わたしはひどい高所恐怖症を自覚していて、たぶんではあるけれど、その想いには、多くの人と出会いたい、多くの命を知りたいという気持ちでいたからだと思う。
だからわたしにとって一期一会は失いたくない精神なんです。
あなたがこの世界のどこかにいるだろうと想像をすること。
出会ったことのない多くの命が今も懸命に命のあかりをゆらしていること。
有限の自分の時間にどれだけ生きたと言えるか、どれだけあなたと生きたと言えるか。
わたしは最近、多くを忘れていることにこうして書いていて気づきます。
このブログも、いま残したい言葉を書いてはいるけれど、もちろんそれはいつの日かなくなります。
言い訳のように思えるかもしれないけれど、わたしが伝える言葉、残した言葉は、すべて「わたしの言葉であってそれはわたしの心です」。
この先、なくなるもの、目の前から見えなくなるものがあったとしても、わたしが出会い、あなたに感動をしているということを、どうか覚えていて欲しいです。
出会っていない命、この先に生まれる命、わたしたちへ繋いでくれた命。
そのどれもをわたしは愛しているから、どうかあなたがこの先も、生きる理由を思いつかなくなったとしても、どこかでわたしが泣いていることをわかってもらいたい。
あなたの命がわたしの涙になる。
あなたが生まれたことにわたしは感動をして、あなたが生きていることに涙しながら、いつかわたしが本当にそらになったとき、たくさんの感情を持って上から見ていると思う。
だから、たとえあなたの前から消えたものがあるとしても、それは“わたし“ではありません。
“わたし“はずっとあなたに感動をして今も生きています。
どうか、覚えていてください。
マリー

