こんにちは、マリーです🌿
少し遅めの投稿になりました。
本日の体重記録と詳細はこちらです。
※↓画像はスクリーンショットをつなぎ合わせたものです
言葉の響きの重さを感じることってありますか?きっとわかる方もいると思います。
わたしが書く言葉に重量があるということではないけれど、この場は「外」に向ける言葉。丁寧に選ぼうとしています。
また「くせ」があって。ブログをアップしてもしばらく言葉選びをずっと頭の中に反芻させる「くせ」があります。
ありがたいことに、ブログは一度公開しても編集が可能。
もしかしたら気付かれた方もいるかもしれません。
ブログを公開後もところどころ読みかえしてはまだまだ直してしまうことも多いです。お風呂中などにもブログに書いた言葉を反芻しては、もっと違う表現にした方がいいとその後になって修正することも多いです。
以前のブログは3000文字を削ったこともあります。
この「くせ」は昔からなのかもしれません。でも、はじめて社会に出たとき言葉を教えてくれた先輩方のおかげもあるかもしれません。
その中で例を挙げると、「お声をかけていいですか?」ではなく、声をかけるのは自分だから、正しくは「声をおかけしていいですか?」または「お声がけしてもいいですか?」になる。この違いをいつも頭にいれて他の言葉にも応用しています。
ここ数年の最近知った言葉では、「とんでもない」は正しくは「とんでもないことでございます」など、けっこう丁寧だと思ってつかいたくなるものなのに、正しくない言葉ってありますよね。「とんでもない」を今までつかったことはないのですが違和感を持たずにいました。
「○◯させていただく」も、誤りではなくとも、相手に許可をとる場合やそれによって自身に益がある場合につかうのが意味的にはよいそうです。
それを思うとたしかに、となります。でも実際はけっこう色々な場面でこの「◯◯させてもらいます」ってつかわれていますよね。
きっと相手のことを思って言葉をみんな選んでいるはず。でも正しさを理解したあとにその言葉を聞くとなんだかスッキリしないこともある。
わたしのブログでも、「遣い方の正しさ」を求めていったら、誤りが多くきっとあるはず。
正しい正しくないということを強く訴えたいのではなくて。
ただ、自分の感情を言葉に変換するとき、その感情にピースがはまるような言葉をつかいたい。
その作業をとにかく丁寧に丁寧に、自分の中で感情を観察していきたいです。
それに言葉が正しいか正しくないかだけではなく、その言葉をなぜ使用したか。その人の意思と中には意志もくみとれるような感性でありたい。
と、今日もまた多くの自分の感情に出あうことができました。
また同時に、言葉を人に伝えるとき、空間を感じたいとも思ったのです。
空気をよむとは違って、その空間に流れる人と人がもたらすエネルギーを、もっと俯瞰の意識で掴んでいきたい。
なぜだろうと思うと、わたしは性格が感覚的なところが大きいことや、言葉を人に伝えるとき、空間のエネルギーから言葉を選ぶことが多いからなのかもしれない。
それがかえって相乗効果や共鳴を生むこともある。
けれど、その空間のエネルギーに対して俯瞰の意識を持ったとしたら、わたしの発する言葉のエネルギーを誤ることがないのかなと思うからです。
言葉のエネルギーをあらためて感じるような、素敵な一日を過ごせました。
いつも、今も、あなたの命がわたしのこころにも響いています。
ありがとう。
マリー🌻
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