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マリー
30代後半。
日課にしている体重記録と日々の思いをブログに書いています。
精神的な病による入院・再発歴あり。
現在は服薬管理のもと、安定した日常に。
少しずつ唯一無二の自分の存在を愛おしくなるような、また自分自身を見つめる時間になるようなブログにしたいと思っています。
よろしくお願いします🌿
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怒りの感情と向き合う。ブログの終わりに大切な気づきがありました。

こんにちは、マリーです🌳

まずは深呼吸をして。

本日の体重記録とその詳細です。

※↓画像はスクリーンショットをつなぎ合わせたものです


自分の性格は、怒りっぽくはない。

どちらかというと穏やかだ。

そうは思っています。

でも、怒ろうと思うと、怒ることのできるエネルギーをもっている。


いまは落ち着いたのですが、数時間前までその怒りのエネルギーを消化することにエネルギーを注ぐようなことをしていました。

まずはペンを取って日記に思いを書く。

そして有難い時代で瞑想の音源をいくらでも検索すれば聞けるので、それをヘッドフォンから流しながらブログを書いています。

本当は耳がふさがると文章を書く脳の機能を一つとられてしまう感覚があるので、いつもはヘッドフォンはしない。

けれどそうは言っていられないくらい、いまは音源の力に頼っています。


掃除や断捨離もいいかもしれない。

心が整うかもしれない。


9月20日。午前の1時を回ってから、たくさん食べました。

罪悪感が生まれたとかではなく。

でも、本来の自分の身体が取り入れられる許容量以上のものを体内にいれてしまう。

すると心は体と繋がっているから、心も少しずつ崩れを感じてきているのかもしれない。


不安定すぎるいまを過ごしているからこそ。

何かを求めるのではなく。

自分を観察する。

そこから一つ一つ不要なものを選んで、また観察して、取り出して、感謝をして、返還していこうと思います。


怒りの感情であっても、それを感じきらずに見ないものとして蓋はしない。

怒りをやわらげることはしたけれど。

その怒りを日記に書きながら、どこからその怒りのエネルギーが発生しているか。

その源はどうして怒りという感情を生むのか。

その怒りをどうしたいのか。

書けるところまで、日記に書きました。


よく言われるんです。

あなたは地に足がついていないと。

その話を聞いたら、自分を否定されたように思えたし。

それはこの人生を否定されたように思えた。

いや、感情の分析をする前に、怒りの感情が生まれてしまった。


バランスは大事だということはわかる。

でも、地に足がついている状態ってそもそもどんな状態なのだろう。

書きながら、心を整理したい。


読者のあなたには、本当に申し訳ないです。

親友からも以前に、ブログに書くということはデジタルタトゥーだからねと釘をさされています。

それを思っても今日のブログはこうなってしまうのです。


不快に感じる方、気持ちがつらくなる方、こんなブログを書くような人間に不信を抱いた方。

ごめんなさい。

読ませてしまってごめんなさい。


…でも、地に足がついているということについて考えたい。

グラウンディングという言葉もあるけれど、いま意味を検索しようとしたら、広告で続きを探せなかったけれど、地に足がついているとは少し違うとだけを読んだ。


地に足がついている状態って。

自分の心が身体の軸にある状態。

そう思える。

現実的な生き方やものの捉え方、考え方をできるという以上に、自分という人間に信頼の感情と愛を抱き、そこに俯瞰の意識も加え、心という精神を、種のような源にかえ丹田に置くような意識でいることのように思う。

それは自分軸で生きること。

精神の決定権を他人にゆだねずに、俯瞰という客観視の視点も持ちながら、自分の心の軸をどこまでも観察して、その先に生まれたものを大切にできる、能力であると思う。

能力であると思うから、それは培おうとする意識をもってその能力を育て開花させなければいけなくて。

誰もが生まれてから備わっているものには思えない。


地に足がついていない。

自分へと向けられることの多いこの言葉だけれど。

この言葉を相手に伝えるときは、とても用心深く遣わなければならないとも思う。


この言葉を遣う人は、その相手へ気づいてほしくて、戻ってきてほしいという願いを持っていることも理解している。


けれどこの言葉には、相手への否定を大なり小なり含んでいるとも感じてしまう。

気づいてほしいのであれば、戻ってきてほしいという願いがあるのであれば…。

その人の感情に寄り添うことなく、唐突にこの言葉を遣うことは…できたらやめてもらいたい。


その人にも人生がある。

そして今、生きている。


その奇跡に感謝の日々を過ごす中。

地に足がついていないと言われると、その感謝が音をもってボロボロと崩れていくようで。

自分はどこを生きていま、どこにいるということなの?

そう聞き返したくもなる。


こんなにも生きているのに…。

この地球にこの姓をもって生まれた奇跡に感謝をしているのに…。


地に足がついていないってとても残酷な響きに思えるほど、わたしの精神がいま不安定なのだろう。


…相手の瞳を見て、話をしようと思う。

瞳は本心を映す。


だから、地に足がついていない。

この言葉を相手が発した意味を、本当の意味とその願いを、その瞳から感じ取らねばいけなかった…。

それをせずに、むしろ顔をそむけたことがいけなかったんだ。

瞳を、見る。


以前もブログに書いていたじゃないか。

相手の発した言葉の、意思や、ときにその中の意志も汲み取れるような感性になりたいと。


ありがとう。

また、間違った道を歩もうとしていました。

相手を、その言葉を、そのままに非難してはいけなかった。


相手の瞳を見て、その瞳の奥の本当の願いを、観にいかねばならなかったんだ。


今日も、大きな気づきをもたらしてくれたブログに、見守ってくれる多くの存在に。

そして最後まで読んでくれたあなたへ。

ありがとう。


マリー💧


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この記事を書いた人

30代後半。
日課にしている体重記録と日々の思いをブログに書いています。
精神的な病による入院・再発歴あり。
現在は服薬管理のもと、安定した日常に。
少しずつ唯一無二の自分の存在を愛おしくなるような、また自分自身を見つめる時間になるようなブログにしたいと思っています。
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