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マリー
30代後半。
日課にしている体重記録と日々の思いをブログに書いています。
精神的な病による入院・再発歴あり。
現在は服薬管理のもと、安定した日常に。
少しずつ唯一無二の自分の存在を愛おしくなるような、また自分自身を見つめる時間になるようなブログにしたいと思っています。
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腸がねじれるような痛み…ワンネス・スターシードと自己肯定感

こんにちは。マリーです💐

今日から3月。

タイトルにも書いたのですが、今朝から腸がねじれるような痛みが数十分置きにきます。

腸を健やかにする生活を心掛けるときがきているのかも…。

服用している精神科の薬は下剤も一緒に出されることもあるのですが、わたしは下剤の服用は以前にやめていて、いまはキダチアロエを凝固剤など使わずに100%固めた錠剤を飲んでいます。

あとは水をよく飲むことくらいが外から腸のために取り入れていることだけれど、体を動かしたりマッサージのようなこととか、腸を動かす生活はそういえば全くしていない…。

健やかさのためにも、腸を意識して動かすような体操や運動を始めようかと意識した3月のスタートです!


では、本日の体重記録を。

※↓画像はスクリーンショットをまとめたものです


今月は、できたら86キロの数字を見たいなとそれを目標にしたいと思います!

月に1キロ〜1.5キロ、年にして13キロくらいの減量を目標としています。

もうすぐ40の年齢になる今、以前は49歳で50キロ台を目標として年に4キロ〜5キロの間くらい減量したかったのですが、もう少し身体の健やかさを求めるなかでできること、可能性も見えてきているので、ペースは上げすぎずにがんばってみます!

自分のことを常に観察しながらなので、また目標や意識を形成するものなどにも変化はあるかもしれないですが、その変化を恐れるのではなく、中庸の意識で捉えていければと思っています。


今年中に70キロ台、できたら76キロ前後の数字を見ることができるように、心穏やかに生きていきます。


今日のブログと出会ってくれたあなたへ。

自己肯定感、あなたは自分のこのことについてどう思っていますか?

占い師をしていて、自己肯定感が低いことをお話されたり、ないのでどうしたらいいですか?とご相談をいただくことがあります。

わたしは誰かと比較することや、相手を観察する意識に疎いからか、自己肯定感というものを考えたことはありませんでした。

きっと自己肯定感などに悩まれている方は、とても真面目で頑張り屋なのかと思います。


中学生の頃、吹奏楽部に所属していたときの顧問の教師が気難しい人で、音楽室の鍵も貸してくれなかったり部員も数十人いたのに8人までに辞めさせたり辞めていったことがありました。

その教師が、口癖のように「適当にやれ」といって音楽室から出て行っていました。

けっきょく音楽室の鍵は貸してくれなくなり、顧問も辞め、代わりに教頭先生が顧問になり外部から指導をしてくださる先生を2人呼んでくれ、新たな新入生が10人以上入ったりコンクールもその年は出場や銀賞であっても受け取ることのできた中学時代の部活動。

最初は教師の適当にやれという、適当をいいかげんの方向の意味に捉えていたのですが、その当時はその音楽教師の目には適当のレベルに達していなかったらしくみんなで激怒をもらったのです。

でも今思えば、生徒を豚と呼んだり、お前辞めろと突然辞めさせたりと手本にするにはどうかと思う人間性ではあったけれど、適当の意味が複数存在して、その中には程よくの意味があることを知ったいい経験でもありました。


適当や中庸って、ほんとうは容易なことではなかった。

頑張り屋で、もしかしたら幼い頃から周りから何か人生で得ていくことがどこか人として素晴らしいことと教わってきたのかもしれません。

わたしもそういう教育や世界で成長してきた。


すぐには自己肯定につながる感覚は持てないかもしれないけれど、わたしは日頃から思うことがある。

何にも持っていなくとも、何にも得ていなくても、あなたはあなただからいいし、わたしもわたしである。それでいいと。


思考や頭の中の会話はすぐに自分のことをいじめる言葉を投げかけるわたしたち人間であり、現代の生き方。

だからこそ、少しずつ、自分が自分にかける言葉を柔らかくする意識を持つことから変化も生まれるかもしれない。


自己肯定感をあるとか持つとか、ないとかそうした「ある」と「ない」の意識ではなく、自己を見つめ、捉えてみて、ひたすら卑下したいところも挙げきって、その卑下したいと思う部分にもそれはどうしてそう思うのか、それは本当に悪いことなのか、悪いことならその悪いと判断した理由を明確にしてみる。

わたしはきっとその繰り返しをいつも日記や自分自身と繋がる時間にしているかもしれない。


自己を肯定する感覚が薄い、それかない、と思ったらそれ以上に発展することもきっと難しくなる。

自分へ与えた判断を覆すことこそ容易ではないはず。


今朝もパンダガジュマルを見ながら、いつもわたしはガジュマルちゃんと呼んでいるけれど、ぬいぐるみや植物とかにわたしは昔から名前をつける習慣はないなと思ったときに、対象を名前で呼ぶようになったら、その名前で生きる性格が生まれることを感じました。

ガジュマルちゃんじゃなくて、たとえばマリーと呼ぶようになったら、マリーの波動を宿った性質になる。

名前をつけることを否定したいのではなく、わたしは名前というものは性質をともなった魂を宿らせることに思えるのです。


わたしたち人間には名前がある。少なからず名前の音という波動の響きの影響を受けている。


ワンネスという言葉がありますね。全ては一つである。その意識や感覚。

わたしたちは名前という識別できるものをいただいているけれど、魂や源の部分はこのワンネスであると思っています。


生を授かり名前をもらい「わたしである」確証ができたけれど、それゆえに自己についてを思い悩むときは、伝わりにくい感覚の話であるかもしれないけれど、このワンネスである魂は全て源を同じくしてるということを言いたい。


スピリチュアルの世界や話の中では、出身星などを調べるような、自分はどの星を由来としているか、各星の特徴を紹介されたりもしています。

シリウス星人、プレアデス星人、オリオン星人…など多くの出身星の名前と個性が紹介されたり、スターシードなど、その源が地球由来の魂ではなく、宇宙の惑星を源にした魂を宿した人など、いまはそうした話題をよくスピリチュアルの話では聞くようになりました。


ほんとうにわたしたちは何かになろうとそれは自己を知りたいという欲求からか、識別することを好みます。

自分はこういう性格だから出身星はここなのかなとその星の人を検索すると出てきた性質に一喜一憂したりする。

でも自分の魂の声をひたすら聴いてあげることに注力することが、この全ては一つというワンネスの源の存在を思うことに繋がり、それは何か特別であるような識別をする感覚をなくすことへ繋がっていくと思うのです。


何者かになろうとせずとも、個性を見つけようとせずとも。

わたしたちはワンネスを生きる。


全てを受け入れ許すことは、投げ出すことではなく、愛を持って観察した結果。


名前をもらい、そして他とは違うこと、それに順位や優劣をつけることに長いこと浸ってきた今までの時代。

この先は、自己肯定感など他者と比べるような意識をともなう言葉を遣わずに、きっと全てはワンネスに導かれていく世界が来ると信じてる。


そして名前は愛を持ってあなたを呼ぶことのできるわたしたちへの贈り物。


🌿マリー


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この記事を書いた人

30代後半。
日課にしている体重記録と日々の思いをブログに書いています。
精神的な病による入院・再発歴あり。
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