おはようございます、マリーです。
今日は久々に体重の記録を載せます。
ブログの終わりに、2025年8月14日(木)から9月3日(水)までをまとめて載せるので、とても量が多くなります。
気にして見てくれていたらスクロールがたくさんになってしまって申し訳ない。
そしてブログとしてもなかなか書けない日が続いてしまいました。
最近は、『六つの顔』という狂言を映した映画を見て、それが素晴らしくて、ふつふつと血が自分の中を流れていることを実感するような、この身近な日本の知らない世界がこんなにも広がっている事実が、この心臓の脈をどんっと上げるような感覚になりました。
欠けている存在を認めながら、ときに探究もし、それでもどこかその欠けている存在があるから生を明日に繋ぐ確かな理由にもなり得るかのようで、わたしはまだ諦めちゃいけないんだよと言ってもらえたような、それは静かな、でも轟のような確かな響きで、足元の軸のぐらつきを正してくれるかのような、偉大な響きに思えています。
すこしだけ、最近は魂が取られそうになるような、灯火の色が見えるとしたら、なんというか赤くはなく、青くて細長い、緑色を帯びた色になっているような…温度としたら赤より高いのかもしれないけれど、ただなんとなく色が変わったことを感じています。
だからといって、それは変化を感じる前触れのような思いであって、ゆっくり世界と自分を近づける作業のひとつを今、丁寧にしているところだと思っています。
とても抽象的にはなっているけれど、そんな毎日を過ごしています。
でもまだもう少し書きたくて。
世界が自分を中心として見えるような、詳しくはないけれど、量子力学のような考えではなくて、蟻からの景色が見たいなと思ったらそれが広がるような、地球の生命の糸が1本繋がって、それはとても輝きに満ちた糸で、自分が中心ではなくて、時代も超えて未来のわたしが今を選んで生まれなおしてきているんだろうな…と最近は考えることが増えました。
言葉として表現が難しくて何を言いたいのか伝わるものではないと思うけれど、輪廻転生は昔に想像していたものよりもっと、想像や理解が時代には追いつくことのないほど、言葉として違うようだとも思うけれど、複雑だけれど美しいのだなと思います。
どうか、目の前の景色につぶれそうに失いそうな心を抱えながら今あなたがいるとしたのなら、あなたの見ている地面に接している力にふと意識を向けてみたら…。
上を見たり、遠くを観測したり、世界の大きさに意識をあてるのを休憩をしてみて、自分が今踏んでいる場所の、肉体の重さが集まっている地面に思い耽ってもいいのかもしれない。
案外に多くのことを肉体から語ってくれると思う。
リアルを大事にいたい。
では、この後は最後まで体重の記録が並びます。
出会ってくれてありがとう。
現実では会うことの叶わぬ道であったとしても、この時代を選んでみて面白かったなとも思う。
たまになんで自分にしてしまったかと恨みたくなることも多くあったここ数日ではあったけれど、それでも遠くの景色にあなたがいるのかと描ける今はしあわせだなと感じる。
それは多くの命の仲間がいてくれてだ。
ありがとう。
マリー





















↓画像はスクリーンショットをまとめたものです




















