涙の意味を考えないで泣きたいだけ泣いたっていい!

おはようございます。マリーです🍋

今日は8月8日のゾロ目!宇宙からのエネルギーが注がれるライオンズゲートの最も強い日。

眠気はいつものことですが、ここ最近はいつも以上の眠さでした。

とはいっても、ライオンズゲートがどうして発生するのか。

詳しいことをわかってはいません。


成り立ち。起源。ここのところ、そうした根の部分を知りたい願望が強くなっています。

学んでいることでも、教わることに対して「その根本となることはどうして起こっているのだろう」

そうした疑問が湧いてきます。

それとは別で白黒ハッキリさせずに、あえてグレーの状態でいた方がいいこと。

なかなかその見極めに対しても難しいと思うこともあります。


ただ、涙の意味を考えたり自分の中でその答えを求めることをやめるようになりました。

涙が出ると、わたしは何で今涙が出ているんだろう。

何が悲しいんだろう。

と、自分の気持ちを考えてしまう癖がどこかにありました。


でも、涙の意味を求めずに泣きたいだけ、流れるままに涙を流す時間を持つようにしています。


けっこう、泣けなくなってきますよね。自分のことでなんて特に。

感情に蓋をして。泣きたい場面では涙を堪える。

その癖もつけてきたら、自然に涙が出ることが難しい。

そんな風に自分の感情を抑えなきゃいけないことも増えますよね。


わたしは泣けなくなってきてはいるのですが、今でもお風呂の中と夜寝る前に瞑想していたりすると涙が溢れることがあります。

お風呂の中では、辛い感情を流してくれやすいと思っているので、その時々の辛さを心から解放してあげています。

夜の瞑想中(呼吸を深くしているとき)には、自分の人生についてを思い、どちらかというと感動と有り難さと感謝から涙が溢れることが多いです。


なかなか自分の本音の部分の感情には、自分自身でも丁寧に心のドアをノックして開いていきながらじゃないと聞かせてもらえない。

でも、その声に出会えると涙なくはいられません。

そのときばかりは涙をくれてありがとう。そんな感情になります。


人間として生まれてきたのに、人間社会に適応のできていない自分に、どこか知らない場所でダメだと思っていたのか。

ダメとかではないのかもしれないけれど、どこか居心地を与えられない感情があったのかもしれない。


週末、映画「君たちはどう生きるか」を観たあと、本屋で小説版、著吉野源三郎「君たちはどう生きるか」を購入しました。

その前にも本屋で小説版を購入しようかと立ち寄ったのですが、そこに置かれていた装丁はどこかしっくり来なくて見送ったのですが、週末に寄ることのできた本屋に置いてあった文庫本はこれだとの思いになり購入しました。

そのまえがきを読んだとき、涙が出てきました。

人間でありたかったんだ。そうノートにまず書きました。

人間として生まれてきてそれを肯定してもらえたような、生きているということを改めて教えてもらえたような、居場所を作ってもらえたような。

言葉にするとどれも正解でどれも足りないけれど、そんな感覚になりました。


今日はライオンズゲートが最も開くと言われ、宇宙からのエネルギーをキャッチしやすかったり、感覚にも現れやすい日。

その扉が閉じるまで数日はまだあるけれど、今こうしてブログを読んでくださる方も、エネルギーあたりを起こしていたり、涙がいつもとは違う勝手に流れてくるような時もあるかもしれません。


涙の意味を求めずに、泣きたい気持ちを抑えずに、自分の心を浄化するような恵みの涙だと思って泣く。

そんな日が人生にもあっていい。


今日も、ありがとう。


マリー


※↓画像はスクリーンショットをつなぎ合わせたものです

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この記事を書いた人

30代後半です。
日課にしている体重記録と日々の思いをブログに書いています。
10代後半から精神的な病による入院・再発歴あり。
現在は服薬管理のもと、安定した日常に。
少しずつ自分という唯一無二の存在を愛おしくなるような、自分自身を見つめる時間になるようなブログにしたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします🌿

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