MENU
マリー
30代後半。
日課にしている体重記録と日々の思いをブログに書いています。
精神的な病による入院・再発歴あり。
現在は服薬管理のもと、安定した日常に。
少しずつ唯一無二の自分の存在を愛おしくなるような、また自分自身を見つめる時間になるようなブログにしたいと思っています。
よろしくお願いします🌿
ランキングに参加しています!応援よろしく願いします🌿
人気ブログランキング
にほんブログ村 ダイエットブログへ
にほんブログ村 その他日記ブログへ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
PVアクセスランキング にほんブログ村

ORANGE RANGE!!!!!に会えた…

こんにちは。マリーです💐

体重記録はこの後、別のブログにしますのでよろしくお願いします。


アイキャッチ画像とタイトルを見てもらえたらわかると思うのですが、いままで名前を伏せながらもブログに何度か書いてきた、わたしの応援しているアーティストはORANGE RANGE!なのです。

ファンになって今年で20年。

30代後半のわたしと同世代の方々にとっては、“なつかしい“、“青春だった“と過去形の表現をされることの多いORANGE RANGEではあると思います。

本人たちもMCで声をかけられたときの“あの“問題として「ファンでした!!」と過去形で言われることが多いことを話しているくらい。


2004年、LIVEというものを初めて体験したのもORANGE RANGEから。

それからも毎年のようにライブへいっています。


ありがたいことに、わたしの住む関東にも毎年のようにライブで訪れてくれて。

そして先日のライブではチケットがソールドアウトになっているほど。

30代40代の、当時聞いていました世代だけではなく、10代の方のファンも増えてきていたり、お子さまと一緒の方もとても多いです。


ただ、わたしが10代だったとき、ORANGE RANGEを聴いている人が周りに全くいなくて。

世間では当時「花」など大ヒットしていて、テレビや広告に雑誌、他にもたくさんの場所でORANGE RANGEを目にする機会はあるものの、知人友人には全く興味を持ってもらえることなく過ごしてきたんです。

だからか世間の人気との温度差がすごかった。


人気になるってすごいことだと思うのですが、当時からアンチコメントもたくさんありました。

そのときからいまもなのですが、インタビューで聞かれたら答えることはあっても、本人たちからアンチコメントについての発信をすることがないのですよね。

いまだとYouTubeでの発信や、SNSなどでいくらでも自分の意見を発信できます。

そうした自身を苦しめるコメントに対して意見の述べる方を否定するつもりではなく、そうした発信できる環境ではなかったのかもしれないけれど、わたしはORANGE RANGEのひたむきに音楽に向き合い続ける姿勢を心から尊敬しています。

そして何より自分たちが音楽を楽しむことを大切にする姿勢をずっと崩さずにいることに支えられてきました。


わたし一人の力ではとてもファンとして足りなくても、そんな彼らを応援したいと思う人が、時代が5年、10年、20年と変化していく中でも必ずいてくれる。

ファンが待ってくれているだけではなく、自分たちも音楽を作り続けてくれて、そしてライブを通して会いにきてくれること。

掛け替えないとはこのことだという瞬間がライブにあって。

会場の大きさが変わろうがなんだろうが、そのときを自分たちが一番楽しむ。

それは見ているわたしたちにも伝わるものだからこそ、同じ空間にいる奇跡の時間は、いつもいつも尊いものだと心に刻まれてきました。


前置きがとても長かったですよね。今日のタイトルの話に移ります!

先日のツアーでORANGE RANGEのボーカルHIROKIさんによる、CD渡すまで帰れま店という、ライブ終演後にHIROKIさんからCDを手渡ししてもらえるイベントがあったんです!!


ファン歴はきっと長い方であっても、近いと感じた機会は、ライブ会場で最前列になるか、イベントで近くを通るところを見つめていたときくらい。

それが目の前で会えるなんて!!

と、前々からそのライブの日を興奮しながら待っていました。笑


ツアーが始まってSNSで情報を見ないようにずっとしていたものの、前日になり緊張もあって調べてみたんです。

そしたら、握手できた!会話した!など喜びに溢れるコメントを見かけて更に興奮して。笑


でも当日のライブ終演後になると、そのイベントに参加する方の列があまりに長くて。

そしていざ、目の前にHIROKIさんが!となったのですが、黒いマスクをしてその瞳に映る表情からは、考えていたメッセージをとても伝える気になれず…。

「ありがとうございます。」と一言、CDを受け取りながら伝えて終わりました。

どう書くのがベストか悩むのですが、長いツアーのライブ後、そして長い長い列の中盤とも後半ともいえるわたしの位置。

HIROKIさんの瞳からはお疲れの心の色が見えたので、メッセージを伝えてはいけない、ととっさに思いました。

もしかしたらメッセージを伝えた方が疲労がやわらぐ可能性もあったのかもしれないけれど、その瞬間にわたしはそこまでのことを思うことができず。


嬉しかった思いやありがたい思いもある。

けれど、少しだけ寂しさもあった。

もともとお礼の言葉だけ伝えるつもりだったけれど、前日のSNSを読んでやり取りしてる人もいるのかと知ったこともあって、列に並びながら伝えてみようかなとメッセージを考えてみたんです。

伝えられなかったことに後悔はない。

けれど、前日もライブとお渡し会があってのその日のHIROKIさんの姿を見ると、寂しさもあるけれど、それ以上につらかったのかもしれない。

大変なことをさせているんだなってどうしても思ってしまいました。


でも、いま思うのはやっぱり“ありがとう“だな。

大好きな人が目の前にいるって、奇跡すぎですよね!!ほんとに。


ちなみに、お手紙を10年近く振り?それ以上?に書いてスタッフさんに託しました。

ボーカルのYAMATOさん宛に、わたしの字ってこんなに汚いのか…と悲しくなりながらもお手紙にして。

読んでもらえるのかドキドキするし、形に残るものを渡すのはこのいまの時代に申し訳なくも思うのですが、お手紙にしました。


2003年のあの日からいまも、変わらずどんなときも大好きで、いろいろな形のしあわせをたくさん手にしていってほしい人。

そしてわたし自身、様々な形のしあわせをもらってきた。

思い馳せることの力を教えてくれ、考える力もくれた人。


テレビの情報番組で当時、ORANGE RANGEの「上海ハニー」が紹介されたとき、なんだこのアーティスト、と好きになれなかったけれど、その後、沖縄で撮影した「落陽」のMVをたまたま目にしたあの日の衝撃をいまも忘れない。

彼らの眼差しに、沖縄にいるORANGE RANGEが美しくて。そこに生命を感じた。

同じ時代に生きていることをとても嬉しく思った。


うまく表現できないけれど、いまもわたしにとって神様のような存在なのかもしれない。

尊くて、近づいちゃいけないと思うから。


もし今後、YAMATOさんと会えるイベントに参加できたとしても、会話はやっぱりできないだろうな。

一度だけずいぶん前に、イベント会場にあるカフェで向かいの席になったけれど、とても声は掛けられなかったくらい。


ORANGE RANGEがいたから、わたしの身近にはいつも音楽があった。

彼らにとってその活動はよろこびだけでなく、たくさんの大変な事に時を乗り越えてきていると思う。

楽しいを追求することって難しいはずなのに、いつの時代もその楽しいを形にしてくれているアーティスト。


ファンになって20年。

わたしはその間に精神の病にもなった。

苦しいときもあったけれど、そばにはいつもORANGE RANGEの音楽がある。

同じアーティストからの曲とは思えないくらい、すごく様々な曲があるからこそ、その時々の思いに寄り添ってくれるものが常にある。


今日のブログ、ひたすら好きなアーティストのことをわたし目線で語ってるだけになってしまいました。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

いままでこのブログに存在は何度か書いてきたけれど名前は書けなかったアーティスト…。今日やっと名前にする勇気に繋がりました☺️


音楽の音の字って、太陽が昇ってるような字ですね。

日が立ち昇るって書いてあるみたい。

太陽や木々の命が喜んでいるよう。

音楽には波の振動数が宿っているからこそ、その振動数である波動が伝えてくるものが、受けとめる人にもたらす作用がある。

音楽は心の栄養って言葉を聞くけれど、それは音楽の持つ波動が人の心の傷を修復したり、高揚させたり、浄化をしたり、様々な作用をもたらすお薬のようなのかなって思う。


それにその音楽に宿る振動数に共鳴する心をわたしたちが持っている。

人間ってすごい生き物だなって今朝から考えていたけれど、一人の人間が宇宙だなって思うのです。

もし、自分自身の宇宙の魅力をその人自身がわかっていたら、どんなに素敵な世界がそこにはあるだろう。

でも、自分の顔を自分では見ることができないように、自分の宇宙の神秘に気付いたり、ましてや他の人の宇宙の壮大さを思うことって難しいとも思う。


自然や物からの音に、人の感情が乗れば音楽になって。

歌なんて人の声の振動数も乗る。


人が音楽に心を動かされたり共鳴することって、自分自身の宇宙を見に行ったことのようにも思う。

いいなと思ったり、心が惹かれたってことは、その心の中にある世界が輝いたからなんだろうなって。

光を受け取って、陰の存在に気づけて、輝きが伴ったから、そこに力が湧き出てきて。


たとえ聴力が乏しくなったとしても、音楽って振動数だからこそ力はあるんですよね。


耳も心も傾ける方向のものをキャッチする力がある。

全ての音を同じように聴き取る能力は人間にはほぼ皆なくって。

記憶すること、忘れていくこともできる人間ってすごいなって今朝思っていたんです。


そんな人間の命。

母親のお腹の中でも五感のうち聴力はその頃からあって。

きっと音の波動が持つ温度も本能で感じ取れていたはず。


このブログには音はないけれど、表情と温度は作ることはいくらでもできる。

音ではないけれど、それは波動を持つもので、温度を感じることのできる人もきっと多くこのブログを読んでくださる方にはいると思う。

だからこそ、言葉の持つ力を、言霊の波動を、心地よいものにしようと今日改めて思いました。


わたしがこのブログを愛してあげる。慈しみを持って接して言葉を書いていく。

それがわたしのブログの方向性であったのに、ここのところその道から外れていたときもありました。


音楽も言葉もエネルギーで波動だ。

わたしという一人の人間の、宇宙の無限と神秘に気づいてあげたい。

そしてあなたの宇宙の美しさと壮大さをどこまでも信じていたい。


この地球に誕生してくれてありがとうって言葉を、わたしにも、あなたへも、伝えたい。

ありがとう。


マリー

スポンサーリンク
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

30代後半。
日課にしている体重記録と日々の思いをブログに書いています。
精神的な病による入院・再発歴あり。
現在は服薬管理のもと、安定した日常に。
少しずつ唯一無二の自分の存在を愛おしくなるような、また自分自身を見つめる時間になるようなブログにしたいと思っています。
よろしくお願いします🌿

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次