マリーです。
今回のブログは体重記録はなく、思いのブログになります。
今、こうしてこのブログに出会い、読んでくださってありがとうございます。
でももし読み進められないと思ったらいつでもストップしてくださいね。
わたしは占い師として相談を受ける生活をしてきました。
2年半ほど電話占い会社に所属していた時期は多くの方からご相談という形で出会いをいただきました。
それまでも対面占い師として所属していた時期やフリーで占いをしていたときも含め、その方の人生の一部に触れさせていただくという得難い経験をさせていただいていると思っています。
死にたいとお話を受けることもあります。
内容については触れないようにしたいけれど、いままで聴いてきたその言葉の中でもどうも種類というか、温度が違うその言葉を聴きました。
とてもほっておくことなどわたしにはできませんでした。行動をしました。
ただ行動後、その行いに対して隠すという選択は取りませんでした。占い師としてそこで終わってしまってもいいと内容ではなく事実のみを報告しました。
でも社長にあたるその方は、わたしの行いに対して非難するどころか、理解と肯定を下さったのです。
想像もしなかったその言葉に、その日一日で溢れかえった感情全てが救われた思いになりました。
何が光となるか、言葉なのか、思いなのか、人の行動なのか、自然、声、歴史、アート、文学、光の欠片はいくつもこの世界にはあって、ただタイミングは本当に観察していくと贈り物のように自分の元へと届けられる時がある。
ただ、光はそれを望む心が存在しているからこそ気づけるものなのかもしれない。
死が生の対極のように思えない心があることは感覚としては掴むことができる。
自ら選ぶ死というものが絶望の先ではない場合は…。
絶望という闇にはもし光を分けることができたら、そこに少し希望という絶望の対極へと思考の方向の矢印を傾けることができるかもしれない。
ただ死の方向に美しさを見出した場合…死はもはや闇でも絶望の先でもなく、その人にとってのまるで光の道ではないかと思えている場合は…。
わたし自身の捉えてきた死であったり死にたいという言葉は、絶望の先だった。
それは本当は生きる希望と出会いたいという願いを抱えているような、そこにその道すら断たれている感覚からの歩くための歩き方を忘れたり失われることによって暗闇の中に引きずり込まれていく感覚に思えていて。
死にたいという思いには数を振ることなどできない感情がひしめいているだろう。
でも、絶望の先への道筋のように捉えていた。
だからわたしは向かう感情は様々であっても、その道しか自死の理由を知ってこなかった。
死が美しさのように、そこを選ぶことが美しいことをしていくことと思っている人に、それ以外の道の美しさをわたしが伝えられるだろうか。
昨日のお風呂の中、電子書籍で遠藤周作「死について考える」を購入してみて読んでいた。
その時間でまだ75%ほどしか読めてはいない。
購入した時間がたまたま22:13。
なんとなく昨夜久しぶりに、あるYouTubeラジオでも流そうと聴いていて、その中で話のある本で、気にはなっていた。
気にはなっても読もうとまでには至らなかったのに、この流れでの「死について考える」というタイトルに、いま読んでいく必要があるのかもしれないと思った。
読解力のなさからでしょうが、もっと(本に対し)そこの話をしてほしいなと思うところがいくつかあった。
この頃スピリチュアル系統のものに触れる機会が増えていたからか、それらは生命の話題が多かったから、忘れていたこの死というものについての書物やその考えに触れたときの感覚。
それは知りたい考えたいという欲求のような感覚で。
死神の存在について詳しいわけではないけれど、タロットカード大アルカナの13番の数字の振られている『死神』。
タロットの世界では幸福の対に含まれ捉えているわけでも、そのまま死と捉えられているものではなくとも、この死神という言葉を最近人からも聞いた。
先に書いた相談をしてくれた人、死神がいるのかもしれない。
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以上が、昨年に書き残しをしていたブログになります。
その時の感情をいま時点でわたしが持ち合わせていなく、このブログをどうもう一度修正へと運ぶべきか、今、わたしには見つけることが難しいです。
なので本当に書き途中のままでブログとして痕跡することにしました。
おそらく、の予定になります。
決定している話ではありません。
ですが、わたしとしては、この日の書き途中ともう一度、今のわたしが向き合った感情でブログを仕上げたくなっています。
ですが、申し訳ございません。
時間をください。
このブログは、書き途中のままにしました。
これ、くらいなのです。
公開すらもせずに眠らせているブログというものが、わたしには数少ないです。
その中のひとつであります。
なので、どうか、時間はかかります。
もしかしたら、もう向き合っても書けないかもしれません。
なので、待っていてくださいとは話しません。
でも、これを公開するということは、わたしは向き合いたいのです。
その誓いを残し、今日のブログとさせていただきます。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
p.s.
今日の寝起き、どうやったら占い師みたいなことができるかなーと考えていました。
もっと、手相を研究しながら多くの人の手と、人生と、その名と、生まれと、ストーリーと、その瞳に表情に姿、どうやったらこの願いである欲求は満たしていけるだろうか…と考えていました。
でも、その活動をまたしたいのであれば、一層のこと、勉学に励もうと思っていた今日でした。
主に手相など占術に関する本は、今、このブログを書いている背後の本棚(勉強がしやすい場所)に20冊ほど。これらは割と最近仕入れた本が11冊加わっています。
他にも自室には手相に関する書籍が恐らく10〜20冊程度。
いままで手離してきた手相関連の書籍は無いと記憶も、手にした本全てで50冊前後程度であると思います。
わたしは手相は全て独学です。
その大きな理由に、手相はあまりに奥が深すぎるようにいまも感じているからです。
なので、一人の人間から教わることをその手相の全てとしたくない願いゆえです。
西洋の手相、東洋の手相でも異なる解釈があったり、東洋でも、江戸式など、時代によってもありますが、とくにこの日本では恐らく純粋な研究は行われず、おそらくは西洋手相家として著名なキロ氏などの派生から研究されたものが殆どです。
ですが、そうした日本の手相であってもわたしが心を打たれた本があります。
発行所を小学館とする、タイトル「手相の科学 形成途上の性格学」、著者:宮城音弥(みやぎおとや/氏)、昭和59年8月1日初版第1刷発行
この書籍の著者である宮城音弥氏は、精神医学の道を歩まれた方でいらっしゃり、占い師ではありません。
手相というものを、医学の分野から見えてきたものを書籍化してくださっている貴重な声の塊である本なのです。
ですが、現在、この本の入手はとても難しいと思ってはおります。
“手相の科学“等のタイトル本は複数に存在し、この先もおそらく似るタイトルの書籍が生まれると思います。
ですが、手相の書籍として誰がこれほどの本をこの先残してくださるでしょうか?
現代の日本の精神科の医師に、どれだけ、人相学や手相に精通なり研究している人がいて、それをどこまで広く行き渡る物として発表がされていますでしょうか?
わたしの今日の夕方書いていた日記です。
内容は以前から思っていたものです。
精神科の医者は、統合失調症などのいわゆる精神が分断や分裂を来しているとのチェックの手っ取り早く、且つ、はじめの一歩の問いかけとして「あなたは、わたし(医師)の体重が(体重は、ではありません)何キログラムに見えますか?(思えますか?は問いとして失敗)」
この行程を入れてもいいのでは?と思っているんです。
もちろん、正解を導くためでは無いです。なので、患者に正解の数字を示すことは必要は無いです。
ですが、それこそ、相手の患者に自身がどのように瞳に映っているのか?ということをとても明晰に伝えてくれると思うんです。
わたしが体重記録を公開しているのも、体重なんて見りゃわかるからです。
体重が40キロの女性をあなたは100キロありますね!痩せましょう!ダイエットのおすすめの方法は…って語り出す人がいたら、それこそ、何かしらの状態への危惧が必要ですよね。
体重だけに限ったことではありません。
180センチの身長の男性の身長を、130センチと返答する”患者“もいるかもしれません。
しかたありません。統合失調症とは、そういう世界の住人の配役をいただいているからです。
ですが、おそらく、身長は椅子に座っていると思われる医者からの問いとしてはふさわしくないだろうとのことから、先の質問を思い浮かべていました、ずっとずっと、これ質問すべきじゃないの?と思ってました、最初のとっかかりとして。
話を戻します。
わたしは、まだ知りたい手相の情報があるのですが、その答えを書いてくれている本に出会っていません。
どこの古書店を巡って探しても、その記述には出会えません。
それは親指の関節の割合と、その関節の数に関するデータが欲しいです。
だれも、まだ、書いていないのでしょうか?
誰が、研究をしているのでしょうか?
まだ、研究がされて、いないのでしょうか?
なら、わたしが、この先に研究していきたく思っています。
だって、その解答が見つからないのですから、探しに行くしかありません。
同じく、精神医学界に在籍している先生方、そして、日本全国、多く存在している精神科医師、そしてそれらの医療機関に在籍している看護師のみなさまへの、わたくし、マリーからのお願いです。
お願いである、祈りです。
どうか、あなたの目の前にいる患者を見てください。
そのたたずまいを感じてください。
その髪型を見ましたか?
初めましてではないのなら、髪型は前回とどう変化しましたか?
その髪の色は着彩されたものでしょうか?
地毛でしょうか?そのどちらでも、その人の髪の油分は前回とどう変化していますか?
では、装飾品はどうなりましたか?服装のジャンルは変化が多い人ですか?
声質はどうでしょうか?たかい声質ですか?
会話のスピードはどうでしょうか?前回と今回とで間の置き方はどう変化しましたか?
瞳の色はどう変わりましたか?
あなたの処方した薬の、処方前と処方後の瞳の温度感はどう変化してきていますか?
いままで精神的な薬の服薬経験はいかがですか?
では、その方はいままでの人生でどう生きていますか?もちろん提示されている保険証等から読み取れるものでまず、全て脳にスキャナーを作成し、それは即刻脳でスキャンは済んでいるはずのデータですよね?
遅いですよ?患者が部屋に入る前に済ましてくださいね。
では、お名前を資料通りに発声されましたか?
発音に違和感はありましたか?正しく、名前を名乗ることが患者はできましたか?
マリーの名を、「わたしはキャサリンです」と名乗っていませんか?
正しく名前を伝えても、そこに違和感など、ないですか?ありました?
違和感を感じたのだとしたら、医者であるあなたは、その違和感をどう分析され、この後の残りの診察時間の数分間に生かそうと決意されましたか?
では…
というのは、これはわたしがいつも占い師の時に行なっていることです。
対面占い師のときも、電話占い師であったときも、必ず、これらを行なっています。
占い師は、鑑定師であり、それは、鑑定士である、ある意味で、人間表情師なのです。
精神科の医者へ。
私達、占い師をなめないでください。
以上、よろしくお願いします。
マリー
🌻🌻🫏🌻🫏🌻🫏🌻🫏🌻🫏🌻🫏🌻🫏🌻🫏🌻🫏🌻🫏🌻🫏🌻🫏🌻🫏🌻🫏🌻🫏🌻🌻
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