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マリー
日課にしている体重記録と日々の思いをブログに書いています。
精神的な病による入院・再発歴あり。
少しずつ唯一無二の自分の存在を愛おしくなるような、また自分自身を見つめる時間になるようなブログにしたいと思っています。
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霊感という力、それ以上に対象の水を読み解く力を育てたい。

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おはようございます、マリーです。

今日から4月。

月末の昨日、どんっと重たい感情が溢れてのまれそうになったけれど、ほんとに溢れてくれたおかげか今は有難いくらいのすっきりとした心でいます。


重たい空気がきっと育てている植物へも影響を与えたのか、葉水はいつも通りでも、葉のボリュームや艶が今朝は減っていました。

また新たな気持ちで植物とも向き合いながら、お互いが元気に、一緒に生きていきたい。


では、短めのブログですが本日2025年4月1日(火)の体重記録を載せて終わります。(書いていったら長くなってしまいました。)

冷んやりした、今日なんて極寒かもくらいの風だけれど、わたしは窓を開けて風を通すことがすごく好きで、寒かろうが換気ばかりしています。

自然や時の流れ、老いていくことも、ああ幸せなことなんだなと、季節の巡りを感じながら想いも巡らせています。

体重という数字も、人からしたらもしかしたら良くないと思われたとしても、わたしにとってはこの人生を生きている証の数字です。


つい最近、Apple TVで映画を購入して観た日。昔の日記を取り出して読んでみました。

たまたま出した日記帳は、統合失調症を発症して退院した時期。

日に3行程度がずらっと並んでいて、薄い色で力のない字で書かれていたものは、日常にいまは抱えていはいない感情でも、わたしが確かに歩いた道でした。

生きているんだなと、そして繊細な感情や消え入りそうなあの日の声へと、今のわたしが過去へ光を送ってあげられるんだと、そう信じたくなった日になりました。


その日みた映画のタイトルは『僕はイエス様が嫌い』。

以前もブログで書いたことのある『ぼくのお日さま』と同じ、奥山大史監督の映画です。

ずっと気になっていたけれど、ようやくみました。

4月19日(土)には、池袋の新文芸坐でこの2作品の同日上映と、奥山大史監督のトークイベントもあるみたいです。

詳細が気になった方もいるかもしれないので、記載のあるページのリンクを載せますね。


『僕はイエス様が嫌い』をみたことで、また勝手な表現ではあるけれど、瞳に映した景色に層があるんじゃないのかな、とわたしは監督に感じます。

層というのは、高次元とか次元が別れているものを目から感じ取る力とかではなく、なんだか空気中の塵や、湿度である水分の粒とか、普通だったらそれは空から感じとるようなものが、生きている人や、写真や、映像からもわかるんじゃないかな、と思ったんです。

対象の水分の質がわかるというか…。

だから、わたしは奥山監督の作品に映るすべてから水分を感じるんです。

人って水分を多く含んでいて、その体内の水分で精神も変化があるように、それを捉えるような眼があるんじゃないかなって思えています。

わたし自身は聴覚からそうした場に流れるものが伝わる体質だけれど、監督は視覚から強く、対象の中に息づく水の重さやどういうものかという質の部分がわかるんじゃないかなと、映画からそう感じています。


水って記憶をするそうなんです。石も同じようにいわれているけれど。


話をすこし脱線させるのですが、霊感っていう力からも、記憶を読み取ったり、感情やその人の人生がわかる人もいますよね。

最近思ったんです。もしかしたら霊感って、生まれつきに備わっているとどこか思いやりの力を伸ばす機会を失うこともあるのではと。


霊感があると、きっと人の感情がわかってしまう。

それは想像力を必要としないのかもしれない…。


でも、霊感を生まれつきではなく、幼少期などや他の時期でも、命の危機を感じやむを得ず発動した力である人もいると思います。

その場合は、わりと困難のある道を歩まれる人が多いように思います。

また霊感があることを悟られないように生きている人が多くいるとも思います。

それはやはり命の危機に関わる力であるから。

天性のものではなく、後天的に得た力であるから、その作用に関してどこか懐疑的なところがあるようにも思えます。


生まれつきの霊感の人は人柄に乏しいという紐付けをしたいのではなく、たとえば人の感情に想いを寄せてどうしたら相手にとって最良となるのだろうって、転ぶ経験とか、痛いとか、そうした失敗をすることも必要に思えるんです。

そうした中で、幾度となくこれは違うのでは…だめだったのでは…っていう葛藤と生きながら、思いやりとは?愛とは…と育んでいく力でもあってほしい。

霊感が生まれつきにあったとして、育む機会を省ける歩みをしたら、危険性があるのではと考えます。

また対象の感情を言い当てたり、未来を伝えたりする力は、もしかしたら相手の育てていくべき力も奪う可能性も同時に否定できない。


水の記憶を読む力は、わたしは霊感ではないと思っています。

きっと、霊感からそれはできるものです。

ただ、わたしは人間が育てることのできる力であると信じたい。

それを特別な力だと、たとえば困っているのに多くを請求したりするのだとしたら、それはもはや霊感を使用した悪事であると思います。


なんとなくだけれど、この先にみんなが大事だと認識をしていって、育てていこうとする力の一つに、この水の記憶を読み取る感覚の力もできていくのではないかな。


話が逸れましたが、普遍的であるというのは、どこかわたしは水であると思っていて、それは水分で、以前も似たような表現を作品にしているけれど、奥山監督の作品には、糸のような人の歴史の水が流れているように感じています。

水分と書いてはいるけれど、それは血液の温度がわかる力を監督に想います。

水質を、温度を、体内に流れる血流、その人の体温や血液の中身すらも感じ取るというか…。


雪景色が監督の2作品に共通していて、雪って冷たい空気であって、人の体温や、生きている人間の血液の温度とは対照的で、でもそれが、育んでいる姿でもあるように思えました。

書いたことはわたしの解釈なので誤りがあるはずです。

けれどこの先生きていく人生で、空気にも、人にも、物であっても、そこに含まれるもの、それは水分のようなところを感じ取ってみたいと、『ぼくのお日さま』『僕はイエス様が嫌い』を観て、その力を育てていきたいと今思っています。


人の数、解釈があります。

あなたに今、おすすめしますと手放しに伝えたくはありません。

でも、もし何か感じるところがあったら、奥山大史監督の作品と出会ってほしいなと思います。


いまも、米津玄師さんの「地球儀」のMVを流しながらずっとブログを書いていました。

奥山大史さんはこのMVの監督の方でもあります。

そして、わたしは育てている観葉植物にもよく聴いてもらっていて、いまもスピーカーを植物の隣に置いて「地球儀」を流しています。

MVを流しながら観葉植物へ「仲間だよー」って屋久島の木々や動植物たちを見せて話をしたりもします。

余談でした。


では、たとえ現状至らないところがあって、そこに気付き恥ずかしさを感じたとしても、その感情から否定する言葉ではなく、やったね気付いたと、嬉しいことだと喜んで、これからの命へ、それは細胞へと変え進化したいと思う。

読んでくれてありがとう📖

マリー


長いブログの最後でごめんなさい。2025年4月1日(火)体重記録です。

↓画像はスクリーンショットをまとめたものです


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この記事を書いた人

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