おはようございます、マリーです。
ずっと更新ができず申し訳ないのですが、今日も体重の記録なく日常のことになります。
でも、この頃の食生活や体重のことでいえば、食事のリズムが崩れて体重は増加してます。
だから公開をためらっているわけではなく、画像の作業をしたい日=ブログを書きたい日でいて、そしたら画像の加工より書くことを優先していることが増えました。
あとは、頭の重さが取れずにいて休んだり、日常のことをしていて、けっきょく後回しにしてるだけではあります。
集合意識というのがあるのか…眠れた一昨日(昨日)の夢で、災害で負傷をする夢だったのですが、痛みが夢でもあって、起きた後も記憶につよく残っています。
それと、朝は鳥の鳴き声、カラスや聞こえてくる鳥の声で、どんな会話をしてるんだろう、と想像をすることが多いんです。
最近、鳥が鳴かないなぁと思っていたら、今朝はカラスや鳥たちの声が聞こえてくる朝ではあったけれど、叫びのようなどこを鳴らしたら出てくる声なんだろう…というような声の鳥と、もう一羽はまるでその解説をしているかのように声を添えているように聞こえるニ羽の鳴き声を聞きました。
地域によっては地震が絶えず、大きな揺れに心も肉体も休まる時間の取れないかたもいますよね。
不安とともに過ごす時間、恐怖とともにある時間の、どこへ心を運べば落ち着くのか分からない、そうした時の苦しみを想像します。
よく7月5日や、この2025年の7月の話題や、占い師でも予言などを時期は限らず意図を持って公開するものを目にします。
この頃はそうした情報を得ている世界線をつくること、広めること、情報の源を考えもせずに行う姿勢の多さに言葉にしたくない感情になります。
誘導して捏造できる、そこを利用もいくらでもできることなんです。
恐怖心と向き合うと心は当たり前に乱れます。
目の前の空や、動物や植物、大切な友に愛する家族、目の前で息をする命…多くの生命の望みに心と目を向けてほしい。
心が乱れる情報を目にしたときこそ、手放す勇気を持ってほしい。
わたしたちの歩みたい今とこれからはそんな情報の先にある架空の世界には無い。
もし、興味を持ってもらえたら最後に2024年8月13日のブログのリンクを一緒しますので、気になったら読んでもらえたら嬉しいです。
今、わたしたちはどう生きたいか、どんな時代へと次のこどもたちが生きていて欲しいか。
わたしの今の考えではあるけれど、許すということを、お互いが干渉ではなく、空間が人を育てることの意味を見出していったらいいなと願っています。
許すというとまるで罪や故意に対しての許しなどのように思えるかもしれないけれど、もう少し、許しという言葉から考えていきたい。
「許し」から「許す」を広辞苑で引くと、『固く締められているものをゆるくする意。引き締めた力をゆるめる。ゆるやかにする。』とありました。
もちろん意味の一部ではあるけれど。
でももしかしたら、容易に孤独を想像できる世界というのは、人を許すこと・距離をつくることができず干渉という形で世界に関わりを持とうとした姿勢がつくった先にあるのかもしれない。
話が変わってしまうけれど、わたしは手相のことを知ることが好きでいるけれど、同時に、言い方はよくないが手にはその人のなんというかどういった不満を抱えていて、その手の形の人が道を変えればこうした過ちをしやすい、などが現れるのも手相でもあります。
それと、ニュースを見てると犯罪者と呼ばれる人は名前が出ていることが多いから、わたしはよく名前とその行いについてを考える傾向もある。
あとよく「名前」を想像して、知る前に当てることをするのが学生時代からの趣味で、入学式にはじめましてで名前を言って驚かせたこともあったくらい、自然と名前と人柄や印象についてを紐付けることが好きでいます。
そのわたしの方法ではあるけれど、名前を想像する時にする順番があって、その最初が文字数を考えるところなんです。
マリーなら3文字。のような感じで。
そしてだいたいの傾向をわたしが想像をした話です。
マリーのブログは名前が3文字の人が一番楽に読める内容が多いです。
2文字の人にはしんどいはず。
4文字の人は疑いのような疑問が浮かびやすいはず。
5文字の人は好奇心から最初と最後に注目がいくので、体重記録の画像はわりと見れるはず。
6文字以上の人は世界線が異なるので目に触れる機会は少ないはず。
など、名前の文字数は性質と紐づく最初の暗号です。
そこから木火土金水のどの音のパーツが強いかを想います。
このブログはわりと「金」の音を多く含む名前の人にとっては好きではないブログになりやすいです。
どの音が「金」なのかは言葉にすると早いけれど、このブログ内で詳しくなんで「金」の音には響かないことが多いかまでは今書けないので、音と五行のことには触れません。
気になるだろうけれど、ごめんなさい。
そんな感じで、まず名前の文字数、音の属性から名前を想像することをします。
さて、ニュースの話に戻ると、犯罪を行う人のある程度の音の法則性はわたしのなかではあるけれど、そうではなく、誰もが大小、裁かれることはなくとも、手相をみても、『善のみで生きてはいない』というのが何十年と手相や名前の響きについて学んだり見てきても思うところなんです。
だからこそ、さっき出した『許す』ことを培うことがきっと今からの世界に大事だと思っています。
なにも他人をとは言っていません。
自分もそこには含まれます。
そして『許す』と『離す』は決してセットにはなりません。
許すことは流すことではなく、普段から想定して考える、未知には思いを寄せる、鍛錬のように心を鍛えていく必要があると思っています。
心の焦点を対象に向け、耳を澄まし心音を聴きたいと望むこと。
それだけでも、小さな世界が平和になるような気がします。
孤独があるとしたら、その人が世界への心音を閉ざす時だとも思うんです。
だとしたら、その鍛錬をしませんか?
電車に乗ってる前に立っている人でも、職場の人、ベンチに座ってる人、心音が必ず存在しているはず。
その音に意識を向ける人が増えていけば、異変は異変ではない。
世界は急に変わるんじゃなく、もし世界が終わるなら、一人の心音を聴くことを諦めた世界の先にそれは存在していると思う。
だから、わたしはあなたが好きだと言いたい。
自分の名前が気に入らない人もいると思う。
親のことを許せないから、名前を捨てたい人もいると思う。
でも、もっと大きく思えば、名前は記号で暗号です。
手相とはいっても、手を失っている人もいる。
眼球のない人もいる。
名前の無い人も世界で見たらたくさんいる。
もし、わたしがそれらを持たない人と会ったらどうするだろうか、と想像する。
言葉も通じないかもしれない。
認識もし合えないかもしれない。
だとしたら、その人へ愛を持つ。
そして、その人が歩きやすい道を創る。
今すぐには全てできなくとも。
許すということは、概念を打ち破り、新たな世界を構築する行いだ。
もし、今日のこのブログをここまで読んでくれていて、なにか思うところができて、もし、あなたがわたしと同士だとしたら、一緒に小さな革命をしてみませんか?それは許すという世界を創るなにかしらの一歩を。
なにかしら考えてもらえただけでも嬉しいし、その行いは今でなくとも、これを知っていれば、きっとわたしたちなら大事なことを許す選択をその時取れると思う。
「許」
この漢字は新漢語林によると、『言+午。音符の午は、きねの形をした神体の象形。神に祈ってゆるされるの意味を表す。』
とあるけれど、それは送り仮名が“し“である『許し』の方であると思う。
わたしたちがするのは『許す』という、選択を伴い、後の物語が生まれる方。
そして、改めて許すことが必要なのは、もう人だけでない、情報へも、許すことで緩めることが必要だと思うから。
情報を手放していったら、目の前の心音がきっと響いてくる。
その鼓動に耳を澄まし、心を研ぎ澄まして、感覚を養いたい。
わたしはそう生きていきたい。
そうかな?
どうかな?
未来のわたしは今日のわたしの名前を呼んでくれてるといいな。
マリー