オリジナリティに悩んだことのあるあなたへ…

こんにちは。マリーです🌳

先ほど、オリジナリティって言葉をふと思ったんです。

あまりわたしの人生で意識のしたことのない言葉で、言語として存在していることはもちろん知ってはいても、身近ではない言葉でした。

なので、今までオリジナリティについて考えたこともないんです。

たぶんわたしとは縁の薄い言葉であったんだと思います。


でも、先ほど急にこのオリジナリティって言葉が浮かんできて…。

そしたら思いやりだねって響きも同時に入ってきたんです。


その思いやりがオリジナリティをつくりだしているということに、自分の中で生まれた解釈であるのに、とても納得をしてしまいました。


オリジナリティの意味を検索すると、きっとみなさんの認識とさほど差のない言葉で表現をされているように思います。

それだけ、このオリジナリティという言葉は世の中に溢れて、言語として認識を持たれているんだと思います。


わたしとは縁遠い言葉であったがために、今まで深く考えたことはないこの言葉について意識を向けたとき、思いやりがなければこのオリジナリティは成立しない。

そうわたしの脳に伝えられ、それをどうして納得できたのか。

その理由についてを今日のブログでは書いていきたいなと思います。


そもそもの思いやりとは?

その認識は人によって様々であって、その違いを書きたくはありません。

いつも似たようなことは書いていますが、それぞれの角度と解釈と解像度をもっていていいんだと思っています。

なので、思いやりとは?と書いたものの、わたしの解釈についてここで書こうとは思いません。


ただ、オリジナリティという言葉の解釈をする前に、今一度、自分の中での思いやりとは?という考えを整理する必要があったのです。

そして、わたしの中での思いやりとは…。この考えを丁寧に観察していった先に、オリジナリティは成立された言語になる。そう改めて思ったのです。


現代、オリジナルをとても求められる社会が構築されていると感じています。

でも、そうした社会でのオリジナルという言葉は、自分自身へと見出す前に、相手に要求をしているものの様に思えます。

しかも、その要求をしている当人は、そのオリジナルという言葉の認識について深く考えを抱くことはせず、作品や存在について、オリジナリティに欠けるなどと評価をしている感覚を現代からは感じています。


とくにアート活動をしている方々にとって、オリジナルの成分がきちんと作品に反映されているか。

という問題は離れることのできない葛藤意識言語として成立しているのではないでしょうか。


わたしは書いたとおりオリジナルという言葉について深く自分の人生に投影して考えたことはありません。

イラストなどのアーティスト活動をしていた時代も、一切このオリジナルという言葉について思いを馳せることなく過ごしていました。

それはわたしは個人での活動であって、社会から認められなければいけないほどのアーティストとして生きてはいなかったからということもあります。


では改めて、オリジナリティって思いやりでつくられているという考えについて。

先ほど書きました。現代のアート活動にオリジナリティを求める方が多いと。

それはアート活動だけではなく、人が生きていく中で、存在までにもオリジナルという独自性を求める意識がこの社会に存在していると思います。

その重圧に今もし、苦しんでいる方がいるのなら…どうかそのあなたへと今日のブログのメッセージを届けたい。


オリジナリティと意味を引くと、独自性や独創性などという言葉でまとめられていました。

そしてこの独自性や独創性って、社会の中で成立するとしたら、どういう社会だとあなたは考えていますか?

誰かの優しさである、「許し」や、「思いやり」。

この想いなくしてこの地球上で独自性や独創性は発揮などできないと思うのです。


それは、独自性という言葉自体が表していますよね。

人と違う。他人と世界観が異なっている。とも捉えることのできる意味が、独自性という言葉の中には含まれていると感じています。


さて、この地球上で暮らすわたしたち人間一人一人が、この独自性である、他人と異なる世界観をもって生きていくことを、まっさらな状態で自然に行っている人はというと…わたしは今の現代にはそうした自然のままにこの独自性だけで生きている方はごく少数の割合だと思っています。

それよりもここ日本では、人と同調して生きていくこと。その流れに乗ることをしている方が圧倒的であり、そちらを自然だと認識して現代の多くの日本人は生きているはずです。


なのに人は人に、オリジナリティを生み出せ!独自性を培え!独創性の感性を養え!

その圧のみを提供しているのでしょうね。


この独自性が発揮できる環境はどういったものかと考えると、誰かの優しさである許しや思いやりが必要であると書きました。


きっと、あなたもわたしの言わんとする内容はすでにわかってきていると思います。


独創性は時に、異端です。

異端は、時に孤独を経験します。

孤独は、人の生命を脅かすほどの脅威です。


だからこそオリジナリティを発揮させたいのであれば、この世界に思いやりという考えを、一人一人が抱き、それを考え続け、その意識を常に新しいものへと刷新していかねばならない。

この言葉とその意識で溢れた社会が必要だと考えます。


あなたがもし人から、社会から、オリジナリティを求められている存在であるならば…。

そして現代には上に記したような、思いやりに溢れた社会のない中でそのオリジナルを求められていると感じているのであれば…。


あなたの脳である思考こそが、宇宙であり、世界であることを伝えたい。

あなたの脳の中で、その思いやりのある世界を構築させてしまうのです。


人は一人では生きていくことはできない。

人は人(相手)の思考、人から受ける波動という周波数に、大いに影響を受けています。


そう、あなたが変わることがこの世界である地球と宇宙を導く鍵なのです。

あなたが優しさのある思考を自身の宇宙である脳に抱いたとき。

思いやりの精神が生まれる。

思いやりの精神があれば、人を、他者を許すことができる。

オリジナリティは、他と異なる成分がある。ということ。

いわゆる、その人にしかない周波数を発することができるということ。

それは孤独でもあり、知らない人にとっては未知という恐怖になりかねない。

だからこそ、この世界には思いやりが要るのです。

異なる周波数(オリジナリティ)に対して、それはいいんだよと許しの感情をもってあげること。


それこそが本来のオリジナリティであって、オリジナルという言語を成立することのできる社会であると思っています。


だからわたしは今以上に優しい人間になりたい。

あなたがあなたであるということを、どこまでも許容のできる精神を培いたい。


その意識を持った同士が一人、二人…と増えていった先の地球にこそ、オリジナリティは成立する。


だから、現代の一人歩きされているオリジナリティという言葉や、オリジナルというものに悩んでいるあなたがいるのなら…。

わたしと同じ想いの同志となってくれませんか?

あなたはきっとこんなこと書かずとも、もうわたしと同郷の同士である。

ここまで読んでくれているあなたです。

そうだとわたしは知っている。



最近のスピリチュアルに関する知識を得ていく中で、世界の中に光とは逆、いわゆる闇のみで生きる存在がいることを提示しているものを見かけるようになりました。

わたしはその情報に触れると頭痛がおきます。

きっとわたしには必要のない情報なのでしょう。


たとえ、今、ここまで読んでくれているあなたが、そのスピリチュアリストのとく闇のみの存在だとしたら…わたしは率直にブログを読んでくれてどう思ったのかを聞きたくなります。

どうせなら、双方の想いは成立しなくとも、わたしはあなたを友達だと思って話をきいてみたくなります。

わたしにとっては、闇のみの存在であるあなたは敵ではありません。


わたしと違う性質をもっているということ。

それがたとえ世間は闇のみの存在だと伝えていても。

わたしはそうは思わない。

自分と違うということ。

それは光を見出すだけの可能性を持った存在であるからです。


闇のみの存在…と、とても抽象的に書いてしまいました。

ですが、わたし自身がその存在を未だ知らずにいるからです。


でも、あなたがもし闇を抱えて生きていて、自分は闇だらけだというくらい、自分という人間を構築している成分の中が暗黒なものに包まれていたとしたら…。

それは闇という輝きであるほかない。

闇は輝きなのです。

それは光と闇という対の言葉から生まれたものではない。

闇は輝き。光は命。

そうわたしは捉えています。


闇のみで輝きは成立しているのです。

その解釈の理由をうまくまだわたしの中で言語に変換はできないこと。

それとまだ今の時代に、闇が輝きであるとわたしのように言ってしまうと、どうしても新たな対立を生んでしまうことを知ってもいます。

なのでその理由を言葉にはしません。


でも、闇は輝きなのです。

だから、あなたがたとえ自分の人生の闇に悩んで深く傷つき、人生を諦めたいほどの闇にのみこまれそうになっているとしたら…。

わたしはその闇の成分である輝きについてを必死に、必死に…この人生を懸けてでもあなたへ伝えていきたい。


それも、わたしの使命の一つであることを知っています。

あなたはわたしと同じ地球で、同じ時代に生まれてきてくれた友達であり、同士であり、いずれ、同志となるでしょう。


何度だって言う。

この地球の美しさを。

この宇宙の素晴らしさを。

あなたという宇宙をわたしは心から、今日も愛するのです。


マリー

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この記事を書いた人

30代後半です。
日課にしている体重記録と日々の思いをブログに書いています。
10代後半から精神的な病による入院・再発歴あり。
現在は服薬管理のもと、安定した日常に。
少しずつ自分という唯一無二の存在を愛おしくなるような、自分自身を見つめる時間になるようなブログにしたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします🌿

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