おはようございます、マリーです。
この頃の関東は曇り空だったり雨。そして気温も10℃に届かない日もあります。
観葉植物に日差しを浴びせてあげたいけれど窓際だと寒さが厳しいこの頃。
けれど手元に置いてずっと観察していられて、それはそれでわたしにとっては嬉しくて幸せ☺️
今朝も夜中に目が覚めてからずーっと観察してます。
なんでこんなに可愛くて愛おしくて美しい姿でかっこよくもあって…ともう毎日そんな気持ちで接しています。
YouTubeの植物を紹介してくださるチャンネルはよく見ていて、初心者にはすごく勉強になってありがたい。
そこでわたしの癖というか…観葉植物の紹介をしてくださる人の観察も一緒にしてます。すごくおもしろい。
その人の表情、手の形に体型、声質やトーン、言葉の選び方などと一緒に育てている植物を見ます。
想像通りではないだろうけれど、育てている植物の種類や育て方を見ていると、その人の好みも伝わってくるなと思っています。
でも植物と接する姿勢って生き物との接し方でもあるから、人柄を感じるのも不思議ではないんじゃないかな。
たとえば、カチカチにこういう育て方をと紹介される人の育てている植物は美しさがある。洗練された姿が植物にもあることが多い。
その人自身の美意識も感じる。
でも、矛盾がある人もいて、伝えている内容と行なっていることが不一致なところから、完璧な姿を追い求める理想の高い人柄を感じることもあります。
植物が笑っているようにわたしの目には映ることもあります。
育てている人の瞳は綺麗で奥に光があって、好奇心に溢れる少年少女のようで、共存の意味ですごくお互い生き生きとしたものを感じます。
ここでわたしの祖母の話を。
祖母は植物が家中、ベランダにも溢れるくらいの種類と数を育てているような人だったけれど、大雑把なところがあった。そして大胆だった。
生き方も壮絶な苦労と心労や体調の変化と向き合って生きていった人だったけれど、植物は成長速度が速くて、わたしの表現だと植物の声量を感じるとともに、姿には凛とした強さがどれもあった。
姿の表現は祖母にも一致していました。
祖母の剪定は、わたしと会話をしながら枝を選ぶ時間もつくらずジョキジョキと鋏を動かしていた。
大抵のことは「たいしたこどね!」って秋田弁で話すような人で、植物はスクスク大きくなって、成長し過ぎて人にあげたりと手放すこともよくあるくらいだったけれど、ふとした表情や遠くから見る姿からは、心配性な繊細で飴細工のような危ういところもある人だった。
そんな祖母の育てていた植物からは、自然である大地を感じて、地球というか、その植物を見ていたら真理にいきつくのでは…と宇宙を感じさせてくれるような、世界があった。
祖母の植物のことは記憶ではあるけれど、祖母のことを精霊の使い手に思えていたし、魔法使いだなと小さい頃から思っていました。
それはまだ小さかったわたしが祖母の家でやかんが上に置かれる石油ストーブを触って指先を火傷してすごく痛くて泣いた夜に、ベランダのアロエを切ってきてわたしの指に貼って、一晩ですっかり痛みも腫れも引いた日の思い出も強いのかもしれない。
普段、祖母は植物の声を聞いてあげようとしている風ではなくて、どちらかというと植物が祖母を好きでいるように思えた。
話を人柄のことに戻すと、それがすごく伝わるなーと思うのが剪定の時。
ガジュマルはとくに剪定の動画が多くて、どの枝を切るのかとか、丸坊主の剪定にするまでとか、その後成長していく過程やまた剪定に至るまでとか、すごく興味深い。
その気根が好きなんだなーとか、その樹形に仕立てていきたいのかーとか、人それぞれにガジュマルの姿があっておもしろいなと思う。
今日のブログもひとりごとでいいでしょって内容をダラダラと書いていて、ああどうしよう…ってなってます。
でもまだもう少し…。願望は、パンダガジュマルのYouTubeとか、挿し木から大きく成長した画像や、小さいサイズから成長していく変化、魅力を語る人とたくさん出会いたいです!
もう本当に育てているパンダガジュマルとガジュマルとシェフレラが可愛すぎて、これも精神の病のひとつであるかもしれない。
脳の整理のできていないブログで申し訳ないです🙇♀️言い訳ですが、最近眠りが浅く寝不足でいます。
マリー
🌼🌱2025年4月2日(水)体重記録🌼🌱

↓画像はスクリーンショットをまとめたものです

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