「生き急ぐ」のと「先を急ぐ」ことは大きく意味を異なる。
こんにちは、マリーです💧☺️💧
この頃のSNSは、一見の解答のようなところを提示はするけれど、そこに至るまでの、いわゆる見つけ方や、それまでのルートである道のりについては全く伝える気を感じない。
何故なら、それは己が見つけた解答ではないから。
情報の正しさを見極めるための、見分け方のひとつに、そこを”いかに”語れる者であるかがとても『本質を見極めた先の答えである者』か、『飾り物であるか』の違いを教えてくれる。
それはいとも簡単に、割と、誰でも、分かりやすく見抜く方法の、手っ取り早さのある方法です。
情報を見る目を今から養う時間をつくることはなかなか改革のメスとしては時間が要ります。
なので、いかにこの先は、単純で明快かが、とても大事な鍵になります。
オブラートはもう不要です☂️
何故なら、私たちはそこにくるまれる中身をもう知っているからです。
あとは、いかに軽快に、私たちのそれぞれの方法を持って、秘めざる奥義でも実はあるはずだった、この単純なルートの宣伝活動を心に確実に持ち、輪を広げていきましょう。
それは、いとも簡単なので、これから大きく開花します。
この先のルートはもうベールなど消えています。
マリー🌳
後述
「生き急ぐ」ことについて、今回のブログで詳しく話さないのは、それは既に書いてあるとおり、『生き急ぐとは?』というものは、自分で体験しないと得られない感覚であるので、ここでいくら語ろうが、それは生き急いだことのある者しか理解の出来ないものであるからです。
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