こんばんは、マリーです。

夜間のブログの更新になりました。

胃がんの家族が、今の病院を離れ、ホスピスへ行くことが決まりました。

ステージも4になっていて、転移があって、がんの腫瘍も大きくて、今の病院ではもう何もできないみたいです。


今週の月曜日。手術の可能性を確認する日。

ステージは4だと、疑いではなくハッキリと断定で聞きました。

なので手術はできないと。

でも、まだ放射線治療かステントの2択があって、転院の可能性はないと確認をして、今週二ヶ月ぶりの胃カメラをした結果が金曜、もうこの医院ではできることがないから、ホスピスへと。

早くがいいからとその場で一番早い日程で、ホスピス相談の予約をいれることになって予約をしています。


すごく今、わたしは力が抜けています。

月曜日とは同じ医者とは思えないくらいの視線と対応で、それはわざとではあるのかもしれないけれど、これが医療なんだと悲しくなった。


胃がんの家族は手術を望み、月曜日も自宅に帰りたいと言っていたくらい、ずっと退院が叶うと思っているけれど、余命も担当のその医師は話さないと言うし、なのにホスピスへ行くことが決まったことは言うのか…。


先月の末にあと半年だとは担当医から聞いてはいたけれど。

そんなことはもうなくて、次出血したら数日と言っていた。

そして、ホスピスではその止血はしないと言った。

それはできない場所だと。


とても悲しい。

家族は自分がもう少しの命と知らなくて、帰りたいと言っていて。

月曜日のとき医師は、もしかしたらステントによって食事もできる可能性もと言っていたけれど。

もう何ヶ月と水も食事もできていなくて。

体も骨の骨格がしっかりわかるくらいで。

食事はこのままできないし、水も飲めないから、点滴をしながらホスピスだと言うけれど、もう残りの少ないということは話さないのか…。


今週の月曜。

消化器内科の担当医と、外科の担当の医師から手術はできないと言われ。

9月の時点から難しい手術だったと外科医が言い。

そんな難しい手術だったのかと初めて知った。

なら、もう少し手術の日程を早めてもよかったのではないかと思ってしまい。


金曜、消化器内科の担当医にも、心残りないようにと思って聞いたけれど、ステージ3で入院から手術まで1ヶ月くらいは早いとのことだった。

以前も、別のけっきょく一度きりのなぜか話をすることになった医師からも、普通は手術まで数ヶ月待ちだと言っていたのを聞いていた。

でも、何にも分からない家族の身からすると、そんな毎日進行していると話をしていて、入院時は転移もしていないとステージも3で、しばらくも進行していませんねと言っていてすごいと言っていたけれど、その時点で難しい手術になってきているのにそれでもそこから手術まで二週間。

そして9月30日、下血して手術は延期。

10月3日のカテーテルの手術でその後、そこから感染症を起こして40度の熱も出て。

カテーテルを取り、解熱剤の抗生物質をしたり、熱が下がってしばらくの対応で2週間ほど。

そしてまた栄養を入れるためカテーテルの手術をしている。

それで栄養が立ち上がったら手術ができるかもしれないと説明を受け、カテーテルしかないということで同意はしたけれど。


すっごく書くべきことではないんだろうけれど、10月3日のカテーテルの手術は、わたしは反対をして、その時点ではICUにいたのでそこの担当の医師からは胃がんの当事者の同意があればカテーテルをしますと言って電話を切って。

再度不安でこちらから電話をして手術は終わったと聞いたけれど…。

後日、胃がんの家族はカテーテルのことを知らなかったし、本当に同意をしていたのだろうかと疑いたくなる。

それに、カテーテルから感染症を起こしたというけれど、その手術は成功していたのかなとも思ってしまう。

電話で説明をされ栄養を必要としているからカテーテルの手術をしますということだったけれど、わたしは反対をしてしまい、でもきっと、カテーテルをしなかったらもっと早く弱っていたのかもしれないけれど。


栄養を見るための数値もいっときは、基準の平均くらいに満たなくてもその数値を聞くとだいぶ上がっていたから、すぐにそれで手術ができていたらよかったのになと思ってしまう。


こんなに、止血の手術も、カテーテルの手術も耐えて、自宅に今も帰ると言い、帰れると思っている家族を想うとつらい。

そんなことなら止血の手術もわたしは同意しなかったかもしれない。

きっとわたしは感覚が変なんだ。

この金曜日も担当医と同席していたおそらく補助の医師は、以前2回目のカテーテル手術の同意を求め電話をしてきたけれど、わたしがなかなかすぐの納得ができず質問をした時、会って担当医から説明したほうがいいとなってしまい、その日説明が受付のソファであった。

そしてその同席している時間、ちっとも話を聞いている感じのない対応でいて、ほとんどこちらは見ていないのに、カテーテルの手術をまたしてそれでも胃がんの手術ができなかったら止血の手術もして欲しくはなかったと話をしたりしたときに非難の目を向けられ、でも家族が望むのならと思って同意をしたと言ったらそこだけ急に数度相槌を打っていたのが気になった。

きっと、普通の感覚だったら医療を望むのが当たり前なんだろう。

わたしも、家族は胃がんの手術を望んでいるから、カテーテルも手術の可能性が出るかもしれないからと2回目の同意を先月末にしたけれど。


ホスピスへの転院である移動も、わたしは知らなかったので驚いたけれど、介護タクシーとのことだ。

もう車椅子にすら自力では座ることもできなくて、月曜金曜と辛そうに車椅子に座っていたくらいなのに。


家族の動画を病院へ行く度に撮影してた。

歩いてトイレへ行ったり、ハッキリと話もできていた9月はじめの入院時。

それでも、わたしは一刻を許さない状態で至急の手術が必要に感じた。


今動画を見ていたら、その入院時の家族と、この金曜日の家族の動画の姿が。

11月4日はカメラににっこりしている。


長くなってしまって、内容も重たい気持ちにさせてしまっていると思う。

ゆっくり、わたし自身の心を戻して、穏やかにありたい。

でもしんどい時は心に無理せずにいたいとも思っています。


医療って、自分や身近な体験と比べてしまいそうになるとも思う。

うちよりいいほうだ、うちより悪いからうちはまだいいほうだなど、きっと思うこともあるとも思う。

でもできたら、比べる思いを持たないようにいよう、と思って欲しいと勝手ながら願ってしまう。

ひとつしかない大切な命を、その人生を、重さも、歴史も、肩書きや権威も並べずに、命が懸命にただあることをどうかわたしたちは知っていたい。

愛するみんな、大事なみんな、大切な命と時を、今をまたもう今の隣へ、繋げたらいいな。

出会ってくれて、ありがとう。

大好きだよ🌳


マリー