こんにちは、マリーです。
今日は思いのブログです。
2時間くらい書いていたブログがあったのですが、一度公開を見直すことにしました。
読み進めることについて前置きはしたものの、死というものをテーマに書いていました。
そしたら米津玄師さんのインスタライブの通知を見たんです。
そのときヘッドフォンで米津さんの「Flowerwall」を聴いたりちょうど「サンタマリア」の楽曲を流しながらブログを書いていたこともあって、ブログを書くのを一度中断してインスタライブを聴いていたんです。
それを聴き終えて思っていること。
たとえば、意見や考え方が違っていたとしても、まずは自分の考えを持てるわたしでありたいということ。
その上でその違いに対して好奇心を持ちたい。
そしてたとえ相手にとって自分が至らない考え方をしていたとしても、気づかせてもらえたということを大事にしたい。
以前、ライターであり作家でもある古賀史健さんの言葉でそのままには記憶していないのですが、文章を書くことに対して古賀さんは言葉のことを考えている時間がとても多いことを伝えていたことがありました。
そのことを思い起こすことがとても多くあります。
わたしも、考えていたいと思うのです。
それは言葉だけにとどまらず、何かに対してのその人の意見や、自分の意見に対しても、何度も何度も同じことについてをじっくり考えたい。
すぐに返答ができなくたって。周りは次の話題へ移り変わっていたとしても。
この頃とても思う。自分の生きていくことの不器用さと、繊細さと、弱さを。
でも、わたしはすごく守られていることを感じているんです。
そして器用には生きていけない自分のことをわたし自身がそのまるごとの不器用さも含めて愛しいと思えています。
器用に心の変換がうまくできないし、小さなことに引っかかってお風呂の中で泣いていて、変なところ嘘のつけない性格があって、薄々は感じる悪意に対して同調しはしないこの心のままに、わたしである。
ほんとは大きな声で泣きたいし、助けてほしいし、話をしたいし、聴いてもらいたい。
その役目はわたしにだってきっとできる。
大きな声で泣くことを自分自身に許可してあげて、最後まで聴くから話してって自分に声を掛けて、何もできないかもしれないけれど、ずっと一緒にいるからねってわたし自身に言ってあげよう。
痛かったね。つらかったね。こわいよね、こわかったね。もう大丈夫だよ。いまも生きていてくれてありがとう。
たくさん、たくさん、わたしがわたしに伝えてあげよう。
急に、張り詰めていたここ数日の思いに対して、泣いていいんだよって言われたような気持ちになって、涙が出てきたら楽になってきた。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
守ってくれている全ての存在に。
マリー
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