おはようございます、マリーです。
10月になりましたね。
体重の記録はとてもゆっくりのペースで画像を用意しています。
なかなか載せることができていなくて気にかけてくれていたら引き続きお待たせして申し訳ないけれど、記録も続けているので待っていてもらえたら嬉しいです。
今はわたしは生理前からくる37度すこしの微熱と、空腹感がすぐやってきては炭水化物を食べることが止まらずの数日が続いて、胃を痛めて冷や汗でぐっしょりしながら書いています。
昨日は夜から明け方に変わる頃、家族の入院している病院から下血がひどく意識が遠くなっている状態なので来てもらえますか?と連絡を受け、早朝から病院へ。
言葉にするのはまだ難しいし、ブログとしてどう表していいのかとなかなか書けずに進まないけれど、自分の感情がどこにあるのかと、どこかもう一人のわたしが見てくれて解説してくれているような、ふわっとした気持ちで病院へ向かいました。
しばらくの面会の時間があって、そして外科医師の到着や、場所の確保を待って、ICUでの止血の手術に。
無事に止血ができ、家族と再会して。
当初予定していた胃がんの手術は延期となって、ただ状態をみながらこの週末に手術の空きがあってその日に変更される可能性が今あります。
家族は胃がんの手術を望んでいるし、良くなりたいと昨日の止血の手術もすごく頑張っている。
たまに、たまにわたしが心挫けそうになっているとき、どっと悲しいと感情がやってきて、でも泣けない、けれど悲しいという感情だけが飲み込みそれ以上は考えちゃだめだというようなくらいに脳の思考が止まるような時がある。
昨夜は、パワーストーンのブレスレットをわたし自身の心や体を癒すため、頭の重たい場所に当てたり、身体の痛みと対話するようにしながら過ごしました。
暗い感情を好む世界があって、そうした世界は人の脳を使って現実を歪めながらいることもあるけれど、それに応戦するのではなく、わたしはこうありたい、こう生きたいと宣言をした途端、消えていくものを感じることができた。
だから今はいつもよりどこか棘のある感情が薄くなって、新しい世界の始まりのようだとも感じられてもいます。
そうだとしても、心、肉体がありたいと願う姿勢ではなく、情報や社会のあり方によって惑わされていないかと、わたしは自分や誰かを信じる姿勢よりどこか疑う姿勢が強いけれど、それもあって守られてきたことも多くあるから、もうすこしその生き方を広げて新しくしたい。
疑うというと言葉としてよいものと思えなくても、多角的な視点でありたいこと、「正しい」を常に刷新する柔軟さ、時代を感じる心の余白、優しくありたいという祈りはわたしを導くと、自分の命の叫びの作用は宇宙にも響くことをいつまでも知っていたい。
今の現実に固定されたもの、その拘束を解放したいと宣言します。
もしかしたら、わたしたちはこれからも、いつも宇宙に流れる音を聴くことができるかもしれない。
恐怖をつくる未来を語る言葉より、その遥かに響く音が創る空間を知りたいと願う。
わたしが選ぶのは美しい、あなたといる世界。
マリー