こんばんは、マリーです🌳
先に5月18日(土)の体重記録です。
↓画像はスクリーンショットをまとめたものです
お昼ご飯に揚げ物を食べたら数時間後から胃もたれを起こしてその後寝込んでいました。
食べすぎもあったのかもしれないです。
読んでくれているあなたは体調はどうですか?
夏かぜも流行っていると聞きました。
力を込めていなくてはいけない時期、踏ん張り続けようと頑張るとき。
なかなかリラックスができないこともありますね。
そうではないと、自分は何も頑張ってなどいないと思うこともあるかもしれません。
でも昔のブログにも似たようなことを書いたことがあるのですが、いま現在地球で生きている、それこそわたしは様々な力を感じています。
何かを成し遂げるとかではなく、存在することからもうそれは頑張り続けている証だと思う。
昨夜は統合失調症について、考えていました。
統合失調症に罹った人は松果体が通常の人より小さいらしいです。
現代を生きている人はそもそも石灰化という機能を後退させる現象があるそうですが。
でも瞑想は脳波の状態を良くする効果があることも改めて勉強になったので、瞑想を日常に取り入れながら、少しでも認知機能や脳の状態を維持していけたらと思います。
その昨夜には、同じ病を持つ人に心配を抱かせてしまい申し訳ないのですが、統合失調症と心疾患についてのYouTube動画を目にしたこともあって気になり再生しました。
父親が10年ほど前に急性大動脈解離で心臓の手術をしていたり、わたし自身はいっとき仕事のストレスから心拍数が異常なほどあった時期が続き、暴食期間も長いので気にはしていました。
けれどこれも呼吸の意識を持つようにしてから、心拍数もだいぶ落ち着いて、心負担も減っているはずです。
変えることのできないものを憂うことは容易い。でもそこへ十分に心の目を向けて悲しんで、ときに涙を流し自分で自分のことを受けとめていった後、変えていくことができるものへの可能性を信じていたい。
そしてまだ統合失調症の話ではあるのですが、昨夜その関連でYouTubeを検索していたとき、(自称)霊能者の99%は統合失調症説という内容のものを見ました。
わたしは占術家です。
霊能力を用いての大々的な鑑定ではありません。
でも、占い師をしているかたに共通していると思いますが、とくに対面鑑定をしているとご相談くださる人を見ると、お人柄を読み取れるようなところがあると思っています。
わたしはそのYouTubeは最後まで見ることはできず、早々と閉じました。
タイトルには自称と前置きはあるものの、でも直感や目に見えないものを感じ取る力って、現代はその機能を必要としないところが大きく忘れていく感覚だと思うものの、人間にはその力があるものと思います。
自称霊能者と霊能者の見分け方、偽物との違いをお話されているものの、わかりにくかったですし、統合失調症患者の苦しみや、その病を患ったということの葛藤には思いを寄せていないと感じました。
当事者ではないから当たり前。その精神で片付けようとすることはわたしは違うと思います。
でも、やっぱりきちんと最後まで見ないとこうした内容をブログを通して発信してはいけませんね。
なので最後まで見てブログをまとめ直しました。ですが、見ていてたくさん突っ込みを入れていました。
霊能者という存在への解釈に納得することがまず難しくて。
その方の話す本物の見分け方として、同じ霊を複数の人が見ていたらその人は本物の可能性は高いそうです。
けれど見分けたいときに確認することが難しいでしょうし、それを逆手に取り、霊能者と名乗って相談者の前で二人の霊能力者が同じ霊が見えると言ったらそれは本物のように商売をする可能性も出てきてしまいそう。
わたし自身が霊能者ではなく占術を扱うものですが、とはいえ霊能者=霊を感知する人、視覚化できる人のことだと思っていません。
わたしは思いやりの心がつくりだす力であるように思います。
母親が子の異変を察知することもある意味で霊感かもしれません。
友人間でも何か悩んでいるかもしれないなど、気付く力だったり。
その力は霊能力とはきっと呼ばないとはいえ、本来のわたしの思う霊能力って、あなたにはこうした霊がついているからとか、背後にこうした人物がいるからとかそうしたことを視覚化できる能力以上に、相手への愛情、人間としての思いやりの心で、目に見えないものを感じ取る力が大切に思えます。
人間は感覚がある。思いやりの精神を培っていくこともできる。
魂が喜びを感じる方向へ相手を導いていく力を、真の霊能力と呼ぶように思えます。
今も覚えていること。
先ほど書いた母と子の間に起こる感覚についての話です。
わたしはだいぶ昔、いつだったかも思い出せない時期、でもひどく人生に絶望していたのだと思います。
そしてまさにこの人生を自らやめることを決断し行動しに出かけようとした日です。
今まで一度もなかった経験です。何故か母親に今日は部屋から出さないとすごい剣幕で言われて、実際に部屋から出ることができず、その後の心境がどう変化したかは覚えていないのだけれど、今を生きている状況につながっています。
日記にも書いていない。読んでいるようにも思えない。
態度に出しているつもりもない。
言葉にして悩みを相談など一切していなかった。
なのに、その日、止められました。
わたしの母親は霊能力者ではないです。
それでも何かしらのお知らせを母の魂は感じたのだと思います。
話がそれましたが、統合失調症の人だからといって、その霊能がないとは言い切れないのではないでしょうか。
霊能者の99%は統合失調症だと、それはYouTubeに出ていた方の知り合いの精神科医からの話らしいですが、ただ1人の精神科医の話をそれが全てだというように、YouTubeで発信されているのでしょうか。
でも、その精神科医が本物の霊能者というものを知っているかというところも怪しいです。
それに統合失調症の方の全員が霊能者を名乗るはずもありません。
100人に一人は罹る病です。
精神科医が普段から本物の霊能者と繋がりが生まれている事実も薄く思えます。
そうだとしたら、その精神科医の話す霊能者というのは誰を指しているのでしょうか?
自身の患者の妄想や様々な症状に苦しんでいる人を、そしてその苦しみの渦中にいる人がその症状を事実だと伝え、自分には霊感があるからと霊能力について話すからといって、そのことを霊能者の99%は統合失調症だと話しているのでしょうか。
そうだとしたら精神科医として信じたくない姿勢です。
話を誘導する司会でしょうか、理解ができた上で話に頷いているように思えず、疑問に対しての質問の切り口も少なく、どこか足りないと思うところもありました。
なんでこんなに長く、批判のような言葉をわたしもブログを通して発信しているか、そしてなぜそうしたいのか、そのことを言葉にしなくてはいけない。
一つには統合失調症の当事者への配慮が足りないことへの怒りを含んでいるはず。
そしてわたしは愛の活動を目指す覚醒をしていくことを自分の人生に望んでいます。
霊能力を特別な人にだけ与えられた力とするのではない。自らの人生をもがきながらも生きていくなかで磨き上げていくことのできる感覚であって、その力を多くの人が思い出す時だとも思っています。
だからこそ霊能者は未来を当てたり、過去の因果について言葉として伝えること以上に、魂の使命を呼び起こし先導者となる導きを起こす革命家であってほしい。
それは愛を捉え続け、誤りを恐れず、ときに軌道修正もしながら、人間が誕生していること、大地の全ての精霊に感謝を持ち、宇宙の叡智に思いを抱き、その人生を全うする力に思える。
わたしはその姿になりたい。
だとしたらわたしはこの先に霊能力を得ていくかもしれない。
それでいてわたしは統合失調症を持っています。
薬にも助けられ、日常生活を送ることができる。感謝です。
だからといってわたしはまったくその力がないとは思っていません。
きっと全ての人間に宿る力、思い出していくことのできるもの。
特別ではないその力を、感謝を抱きながら生かすこと。
それは太陽を見て嬉しいと感じる喜びのように、素直な精神にもたらされるものにも思える。
素直に生きることをどこか恥ずかしいものと捉える社会の姿も存在する。
けれどもっと純粋に、喜びを感じることに対して有り難いと受け取っていくことで、いくらでもわたしたちの霊能力は伸ばされ、生かしていくことができると思う。
余談。
そのYouTubeでお話されていた方のお名前がふと数日前に浮かんでいました。
とても気になってしばらく毎日そのお名前が浮かんできていての昨夜のYouTubeでした。
お知らせというものかもしれない。違うかもしれない。
でもそうした日常にある見過ごしてしまうような感覚に繊細にいることも、一つの霊能力でもあるのではないでしょうか。
わたしは全ての生命に愛の祈りを届けていく者となっていきたい。
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マリー
2024年5月19日(日)。一夜明け、当人の知らない場所で意見をすることがどこか違うと感じはじめました。
修正や体重記録以外の削除を検討します。
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