こんにちは、マリーです☺️
10月は喜ばしいできごとをたくさん受けとる月になる!
そう決めていると同時に、体重もまた動きだすと決めてもいます。
できたら減少方向へ動き出してもらいたいですが、目標としては今月で93キロ台を目指しています。
2023年残り3ヶ月を切って、月に2キロ前後と目標を決めて、無理のないペースで減量をしたいと思っています。
秋から冬の時期は20代の頃は10キロほど気持ちがウツウツとして落ちることが多かったのですが(その分夏に10キロほど増えていました)、30代に入り30キロくらい増えてからは季節問わず増えるようになりました。
30代の精神の病の再発からは薬もいっときはとても多く、副作用にも悩まされ体重も20キロほど1年くらいで増えました。
向精神薬が要因となるかはわたし自身の知識は薄いのですが、精神的な病から運動不足にはなりがちな方も多く、生活習慣病などに繋がるケースも否定はできないと今も思っています。
健康でいたい。
数ヶ月前のわたしは健康でいたいという思いはあっても、天へ戻る日がいつ来てもおかしくないから準備をしておこうと、その日に思いを馳せることもありました。
限りある時間。だけれど残りの時間に焦点をあてるのではなく、この一瞬に今できる全ての力を注ぐこと。
この先はそうして生きていたい。
そうした決意をこの頃は抱いています。
それでは、ここ3日間のヘルスプラネットより体重記録とその詳細です。
※↓画像はスクリーンショットをつなぎ合わせたものです
秋のこの季節、体調の崩しやすい季節でもあるみたいですね。
身体が求めている睡眠時間の確保が難しかったり、社会や家庭での摩擦から心をすり減らし、衰弱している方もいますよね。
この頃のわたしが触れる情報の中に、ものの見方を疑うという情報が入ってくることが増えました。
言わんとすることへの理解がまだ完全にはできずにいますが、この世界は自分の目と心のフィルターが見せているものだということには、幼い頃から気付いてはいました。
幼い頃、記憶として多く残っている時期が、4歳くらいから6歳の保育園に通っていた頃に集中しています。
3歳まで海が近くにあるような場所で育っていたのですが、その年齢からは現在の地域で過ごし、海や山からは遠ざかる生活をしています。
その保育園時代、先生と呼ばれる方の存在はとても大きく、またその方々の心は広く深い先生であったと記憶しています。
泥団子を作ることに熱中していくつも作って遊んだときは、わたしの手を神様の手だと褒めてもらったことを記憶として今も強く残しています。
そして一緒に空を見上げて、雲は流れるの、と教わったあの日。
それまで雲は動くものだと思っていなかったのかもしれません。
空を見上げながら雲が風に乗って流れていく姿を、美しいととても感動したことを覚えています。
絵本を読むことも好きだったのですが、とくに5歳、6歳の頃は、わたしより幼い年齢の相手に絵本の読み聞かせをしていました。
楽しかった記憶だけではなく、当時のわたしは嘘つきでもありました。
嘘、というか創作話を考えることが好きで、よく遊んでいた友人に作った話を聞かせては怖がらせていました(少しホラーテイストものが多かったのです)。
ある日は、数人とトイレの中に居た時、あの子が嫌い、だったか一人の少女に対して非難の言葉を一緒に居た子達が言い出したことがありました。
だけれど、わたしはその言葉の輪には加わらず、そうは思わないと否定の意見を伝えました。
そうしたら、トイレの個室には先生がいたのです。
先生は、その場では軽く話をして、他の子達を別の部屋に呼んで話をしていました。
言葉が傷をつけることもあると心に刻んだ日でした。
今も誕生日を覚えている7月7日生まれの男の子。当時から活発すぎるような男の子2人組のその一人が、詳しくは書きたくないのですが足の爪をけがしたことがありました。
とても痛いだろうな…とすごく心配した記憶があります。
でも、その子は当日ケロッとした顔で戻ってきました。
あまりにその姿は強い人に映り、痛みに勝って戻って来たのかと…本当に驚いた記憶があります。
また、保育園の頃は走ることがとにかく好きで、距離のある公園までかけっこするのですが、いつも先頭になっていました。
当時好きだった遊びでは、知らない方もいらっしゃるかもしれませんが、ホッピングや竹馬が得意で時間を忘れるくらい仲間とその時間を競い合いました。
走ることが当時速かったのは、恐らく6歳当時で130センチはある身長だったので、周りより頭一つ大きかったことも理由にあると思います。
そのままの勢いで身長が伸びれば良かったのですが、小学生時代は徹夜で漫画を読んだり、夜更かしばかりしていたのでそれほど伸びませんでした(小学1年生から自室で寝ていたのでいくらでも夜更かししていました)。
そんな、今でも記憶に深く残っている保育園時代。
周りでは幼稚園や保育園時代の記憶は残っていないよとの声も聞いたことがあります。
ですが、記憶の残りやすさに関係するのは、幼い頃に生死を揺さぶる体験をするとそこから記憶が残りやすくなると聞いたこともあります。
言われてみると幼い頃、とくに3歳くらいからは死というか、生きていくには…ということをどこか考えさせられるような危機もあったかもしれません。
こうして幼少期を振り返ると、その当時の自分に今も救われているんだと気付きます。
この一瞬に焦点をあてること、今この時を生きるということは、過去の歩みを癒していなければ難しいことも多いと思う。
インナーチャイルドだけではなく、数分、数日前の苦しみであっても、蓋をしてその時に流すはずだった涙を我慢に変えた記憶…。
今を生きろ。自分軸を持て。などの言葉が飛び交うことの多い今。
癒しのできていない過去を抱えながら、今だ今だと極端に「今」に焦点をあてることを求める時代を生きているとも思う。
けれど、幼い頃からの自分の軌跡を辿りながら、過去のわたしへと「ありがとう。」と伝えて、繋がる「今」という奇跡を感じたいと思った。
わたしの手を神様の手と呼んでくれた先生を忘れない。
夏祭りの日の盆踊りで、その先生はアキレス腱を切る大怪我をしたことも覚えている。
たくさん今まで転んだけれど、大きな怪我なくわたしは今を生きている。
幼少期のその数年。
よいことは良いと。よくないことはどうしてそれは良くないのかと教えてくれた大切な場所だった。
誰かの心の痛みを、体の痛みと同じく教えてくれた場所だった。
先日の精神病棟での入院の日のブログでは、未来のわたしが齎してくれた言葉の恩恵の話を書きました。
でも未来だけではなく、歩んできた過去からも、今のわたしを応援してくれるような一瞬を重ねていると気付いた。
ありがとう。あの日のわたしへ。
ありがとう。読んでくれるあなたへ。
マリー💐
※本日のアイキャッチ画像は保育園時代の絵ではなく、小学校高学年時に書いたものです。紛らわしくてごめんなさい。そして小学生とはいえ…ラビラビ物語いま読んで恥ずかしい。笑
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