〈2024年11月2日(土)体重記録〉
↓画像はスクリーンショットをまとめたものです
こんばんは、マリーです。
いっときは気にかけながら改善したと思っていた、歯の食いしばり。
ここ数日、気付くと力が入っていて驚くことが増えています。
眉間にも力が入る習慣も引き続きあって、改善したい。
ペンも正しい持ち方が定着するまで時間がかかりそう。
いつの間にかペンを持つ手に力が入っていて、正しいってどれだろう??って悩んでいます。
きっと、心の奥で、頑張りたいって思っているのかな。
無意識であっても、変わりたいってどこか思っているのかもしれない。
ときどき同じことを考えることがあるけれど、言葉ってすごく表面的にもなれる。
それに本人は本心と思っていても、実は深層意識ではもっと違う感情でいることだってある。
嘘をつきたくない、という思いでいても、無意識に働く自分でも気付いていない偽りの部分もあるかもしれない。
だから、誰かの言葉を聞くときは、占い師のときもすごく意識をしていたけれど、やっぱり瞳ってすごく重要なパーツに思う。
そう思うと電話占いって、占い師の表情も見えないから、相談する側もすごく慎重であるべきだと思う。
いまも、電話の占いも、占いが受けられる場所も多くある。
わたしはやっぱり占いやヒーラー関係の業種を好きにはなれない。
電話占い師だったときも、ノルマはあって、詳細は書かないけれど、相談者を想ってつくられた制度ではないはず。
運営側の利益に繋がるように、設定されているもの。
ノルマを達成させ続けるために、相談者の中に洗脳状態に持っていかなきゃいけないこともある。
そういう方向へさせないために動くこともできなかった。
全ての占い業界に当てはまるわけではないだろう。
でも、悩んでいる心に働きかけ、明日に希望の心を持てるように導くために必要なものかな。
本当につらい人の心に寄り添うタイミングだってある。
話を少し戻すと、占い師は基本は噓つきが多いと思います。
本音じゃない言葉をいくらでも言います。『そうでないと、お客様へのサービス業はできない。』
そういう考えの場所が多いです。
たとえ、本音しか言わない占い師であったとしても、前述のとおり、口から出る言葉は、本人が本音・本心だと思って発言したとしても、それは表層の意識から出た言葉が多いはず。
自分の深層意識との対話は常に自分にしかできない。くらいの心でいた方が健康でいられるように思う。
とくに、この先の未来を知りたいって占いに頼るとしたら、すごく気を付けてほしい。
統計的な占いにせよ、タロットカードなどから読める未来にせよ、わたしたちの創造できる未来を、占い師に造らせてしまうことと同じ。
未来を占いやヒーラーから言われたら、その未来を見にいこうと無意識にいることもあるかもしれない。
瞳は嘘をつかないとはよく聞く言葉だと思うけれど、わたしの場合、あるときから気付くようになったのですが、いわゆる心根がだいぶ歪みのある人の瞳がぼやけて見えます。
もしかしたら同じ体質の人もいるかもしれないので、今回ブログに書いています。
きっと、オーラと関係があるのかもしれません。
美しい波動やオーラの方の瞳はすごくハッキリとクリアに映ります。
真逆の精神状態のときや、心に多くを混ぜすぎて自分自身で戻せなくなってしまっている人は、けっこう姿がボヤけて見えます。
今日のブログ、まとめられる自信のないままでいるので、一度、どこをもっとも伝えたい部分だろうと考えています。
きっとわたしの感情の表層では、占いやヒーリング、YouTubeなどのスピリチュアルの話題、コーチングや、他でもスクールなどで悲しい体験をしない人を増やしたいことがあるとは思う。
でも、他の人の経験すること、体験することに関して、わたしがどうかしようと促す形でこのブログの方向を持っていったら、けっきょくはわたしだってやっぱり操作をしている誘導の人間であるだけになる。
望みを言えば、占いやヒーラーが儲からない世界が早く来て、どんどんそうした業種が消えていってほしいとは思ってる。
同じことを書くけれど、口から出ている言葉に対して鵜呑みにしないでほしい。
誰かの、口には出せない叫びや、消そうとしている感情に、いつでも思いを馳せていたい。
占い師は嘘をつく人が多いと書くと、きっと怒りを買うことにもなると思う。
精神科の医師なども、どこか感情をころしてばかりいないとやっていけないか、最初から感情を伴わないようでなければやっていけない職業ではないのかな。
もし前者の人が精神科の何らかの職業と関わったり、占い師やヒーラーなどをした場合、自分の感情に嘘をつく機会が増えると思う。
わたしは申し訳ないと多少は感じるけれど、占い師や精神科の医師を人として何も知らずに信用はしていない。
この感情に対してもっと整理していきたいけれど、すごくすごくブログが長くなりそうだ。
なんというか、心がくるしくて、相談したいときは、考え疲れるまで空を見上げてるのもいいと思う。
空が見えない環境なら、自分の手の平をじっと見るのもいいと思う。
けっこうすごいヒーリング効果があると思う。
好きなこともしなくてもいいと思う。
仕事がいそがしくて。お金がなくて。毎日子育てで。とか、たくさんの環境による行動の制限ってあるとは思うけれど。
なんで、人間は人(他者)に何かをさせようとするんだろう。
太っていたら、痩せさせるように促すことも。
他にも挙げていったらすごく多く、多くを。
所有することをいつから人の幸せと結びつける時代となったんだろうか。
わたしの考え方は、きっとそうした時代と合うものではないだろうけれど、“なんにもない“って、最強に思える。
昔、「ない」や「ある」の意識について書いたブログがある。
もし、興味のある方がいたらとリンクを貼りますね。
でも、いまは「ない」に美しさを感じることができるってすごく最強だと思う。
それに、ないことに対して「かっこいいね!」って言いたい。
たとえ、知識がないとかだって、他人ではなく自分が「ない」に気付いているってことは既に「ある」へ変化の鍵をもらっていて、あとはどの扉だろうって選択をしながら楽しむことができるように思う。
どちらかというと、「ない」ということに対して、悪いものとして植え付けようとするスピリチュアリストだったりそうした社会の風習、考え方が美しくないように思える。
「お金がない」「恋人がいない」「友達がいない」とか「体重がある」「病気がある」とかも、それが必要でその人に要る体験だから『ある』もののように思えるし、そのことに対して悲観や他者と比べて劣っているところとして認識する必要はきっとないとも思う。
それって、『しあわせ』というものを量として量るようになっていて、幸せであることを状態としていいものであると、人として認識してきたからだと思う。
「幸せでない」ことが不幸せなのではない。
他人の状態を幸せか不幸かと考える、その生き方が健康に思えない。
誰かが病気になった…や、我が子が、親が、家族が、恋人が…と、きっとすごく辛く苦しい体験をしたとしても、それを不幸だと、当事者であったとしても、人間だからこその感情だとしても、だんだんわたしがサイコパスに思えてきたけれど…でも、誰かの尊い体験を不幸だ不幸だと責めないでと、決めないでと、願う。
わたしはどうしても、生まれてくることも、死ぬことも、すごく尊い祝福だと思っています。
恐れる感情を否定したり、命を軽んじていることとは違う、と言いたい。
けれど、医療なども、人が死を恐れる感情をうまく使っている、まるで悪徳な占いや詐欺と同じ考え方からのものや、善の行いとしての医療であっても、そうしたよかれと占いやヒーラーであっても、やっぱり『しあわせ』を量っているうちは、人を救えないと思う。
似たようなことは今までも書いてきたけれど、きっと言いたいことは、誰かに助けを求めたい気持ちを否定することはない。でも、きっと私たちは必要な経験をしているから、自分のことを、自分が助けることはできると、その可能性をいつだって持っているのが人間だと信じていたい。
だから、占いで高額がかかっていて、支払いが大変だとしたら、即刻、その人と縁を切って離れてほしい。
そんな占い師は、大切なあなたを救ってなんかいない。
恋人や、友人といて、どこか心が乖離していく感情を感じたら、その人との時間より、自分との対話の時間を大切にしてほしい。
こんなことを考えるから…と思われそうだけれど、わたしはよく犯罪者のことを考える時間がすごく多いです。
悪者として、社会から外される存在。
その人たちはいつから犯罪者なんだろう…とか。
想像で、犯罪者と会ったらどんな会話をしようと考える時間が日に数回あります。
けっこう時間として多いはずだし、もしかしたらほとんどの人がそんなことを考えず、自分とは違う人間として存在させているのだろうと思っています。
でも、人間です。
とくに、わたしは動機についてをいつも想像の犯罪者に聞いています。
お金が欲しかった。
そう言葉にしたとしたら、お金はどれくらい欲しいのかといつも最初に想像で聞いています。
わたしが用意できるのなら、差し上げます。と言える額か確認しています。
そこでだいたいは想像を止めることが多いです。
いや、もう少しだけ想像していました。
その欲しい金額のお金であなたはどう生きますか?
実際は言えないだろうとも、この問いかけをしてだいたいこの想像は終わります。
この繰り返しをしてしまうことが多いです。
全てがとは思わないけれど、お金が欲しいことは愛情を受けたいと似ているかもしれない。
とにかく想像でいつも「なんで?」と聞いています。
わたしはきっと、人間を知ってみたい、そう思っているんだと思う。
手相を勉強しているのも、わたしを知りたいし、出会ったあなたを決めつけるのではなくて、ただ、知りたいから。
そんな、動機から学んでいます。
と、同時に、人ってどうしたら救われるんだろうってすごく考えます。
書いた犯罪者が救われるとはなんだろうってことも考える時間がすごくあります。
わたし自身、統合失調症で入院していた時期は、まるで犯罪者と似ているのではないかと思う扱いでした。
誰かに聞いて欲しかった。
「なんで?」って。
わたしは怖がりだからだと思う。
想像でいつも、犯罪者に「なんで?」と聞くのも。
書いていくとどこまでも書いてしまいそう。
それに、すごく修正した方がいい箇所が多いブログになっているはず。
まとめられる自信がないけれど、わたしは今日の感情と次の日の感情が違うことが多いので、同じ対象についての作品を続けること、書くことは難しくて、パート分けなどはできそうにないから、今日で書き切りたいと思っています。
でも、きっと、寂しいんだと思う。
さっき、自分の書いたことが。
縁を切るって、すごく大切な決断だと思う。
それに利用されていたとしたら、縁を切るって大切だろうけれど…。
占い師や、YouTubeなどのスピリチュアルでよく聞く二極化とか…誰かの切り離しなさい、という言葉が、わたしはすごく寂しいのかもしれない。
だから、きっと心の奥底で、切り離したくないって叫んだから、犯罪者の話を書いたんだと思う。
本当に切らなければいけないのは、縁なのだろうか。
二極化は起こらないとブログに以前書いたのでリンクを載せたけれど、なんで善と悪、光と闇、それら二極を分けねばならないのか…。
お互いがいて成り立つ世界をどんどん美しくしていこうって、お互いの違う価値観に対して、悪だからと理由をつけて離すのではなくて、「なんでなの?」って話を、わたしはしてみたい。
これからは、そう、生きて行きたい。
読んでくれて、ありがとう。
マリー
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