おはようございます、マリーです。
体重の記録はなく、日常の、きっと当たり前のことだなと思うけれど、ふと出会う言葉や具象の数々から感じたことだったりを書こうと思っています。
ちょっとだけ、誰かに見られたらと涙を我慢したりしていたら、ひとりの時間までも我慢を自然としていたり、泣きそうな思考に入ると止めなきゃとしていたここ数日でいました。
でもやっぱり、必要なこと、大切なことをいつもわたしに必死に伝えようとしてくれる存在がいる。
宇宙だったり、祖先や神々に、大丈夫だよとでも言われているかのような、こっちだよっていう導きと、信じてほしいという祈りをもらいました。
ゆっくりと呼吸を深くして、必要な思考の選択をできると今思えています。
導きからのそちらではないんだよという胸の痛みや、体調の変化に対しても、それは直接的な痛みや危険でもあるから現実的なことでいえば幸とは呼べないことであっても、一つと残らず教えてくれていたんだと感謝が溢れています。
小さな痛みがあるから、自分の歩みを見直すきっかけをもらえた。
些細なけがは大きなけがを防ぐために起きていて、それも今の道を改めようと思う出来事にもなった。
そして、とても当たり前のようだとも思ったけれど、祈りながら、ふと感謝を届けようとしている方向へ自然と顔の向きって向いているなと今更のように気づいたんです。
自分のことへの祈り、身体への感謝を伝えているときは目をとじているものの、顔はわたしを、そしていまの現実へ感謝を届けたいと思うと、ちょっとだけ顔が上を向いていて。
なんでもない気づきなのに、見えない存在がその顔を向けた先に確実にいるんだろうなと、わたしは感動していました。
目を覚まそうとすると、遮るような思考や、現実の見え方のくせを悪い方へと映そうとしてきたけれど、それでもわたしが2025年のこの9月19日という時に命をもってこうして記している肉体ある今。
わたしが見たい世界に近づくためのことはわたしができるんだよと、そう多くの存在に励ましてもらいながら、とっても柔らかな祝福のような、とても澄んだ空気とみずみずしい自然が、喜びとともに応援をしてくれている光景が広がり、わたしの心をいまそっと地球と大いなる空に溶かしてくれているように思えています。
だから、今日を生きていて嬉しい。
でも、またわたしが道を壊したくなったり、崩したくなったら、どうか、わたしに正しい光をください。
届けたい場所が、それは未来にも広がっているから。
読んでくれて、わたしと、出会ってくれてありがとう。
大切な道しるべをわたしたちはいつだって手にできると、疑念からは正しい声が救い出すと、わたしはわたしを通し、あなたを灯していたいと、誓います。
マリー