こんばんは、マリーです。

今日も記録はなく、タイトルに書いた、悩みについて。

それは悩み…ではないのかもしれない。

けれど、なんだかモヤモヤと急にしてきてしまったことを自分の中で整理と消化をしたくて書き出しました。


わたしはいわゆるの社会人をはじめると、その場所でとても浮いてしまったり、その勤める先のエネルギーを大きく受けてしまうなと今なら冷静にそう思え、仕事ということをここしばらくしていません。

これだけに留めてしまうと言葉足らずになってしまうとは思うけれど、それまで勤めることのできた場所では多くの体験と経験があり、そのどれもを大切に捉え、今も思い返しては忘れたくない言葉や学びをいただいたと思っています。


以前、仕事として電話占い師をしていたことがありました。

ただ何を思ったのか、もっと電話で話すことを極めたいとテレホンアポインターをアルバイトの形で電話占い師をしながら始めました。

ただ電話占いの所属先にはノルマがあり、週5のアルバイトを朝から夕方までとおこなっていたら体力的に厳しくなってきていて。

テレホンアポインターの仕事を離れることに決め、辞めたのですが。

その当時、その職場からは辞めないでもらいたいと話があったので、でもどちらも続ける選択肢は体力的にも難しく、それなら電話占い会社を辞める決断にし、進めていきました。

けれど後日、辞めないでほしいと言われたアルバイト先から辞めてもいいよ、と話が変わり、続けることもできたのかもしれないけれどけっきょくテレホンアポインターのアルバイトも、電話占い師の仕事も終わったことがありました。



わたしはまた、電話占い師をします。

所属先も決まり、これから電話を通して向き合うことをします。


そもそも電話占い師をはじめたきっかけのひとつに、父親が自営業をしていた場所でわたしが父は年齢もあるからそこで対面占い師をしたいと相談をしたことがあったんです。

でも父の仕事はとても個人情報を重んじるようなもので、父にとって占いは水商売。

そんななら修行をしてから言いなさいとなり、始めたのが電話占い師でした。


父は、仕事先のお客様のことを一切話しませんでした。

とても偉大な方々や、名を知られた方も来るそうなのですが、そうした誰と会ったということは家族にも話しません。

わたしはそうした姿をすごく尊敬していました。


一度、父が入院していた昨年、初めてお客様の話をしたことがありました。

うちにはこんな人たちが来ていたんだよと急に話し出したんです。

それは初めて知るような内容。

ただ父は当時胃がんのステージ3。

水も飲めず。

食事もできずに入院をしていました。

そのとき、急に愚痴を初めてわたしに話したんです。

こんなお客さんがいるんだ…と。

わたしは咄嗟にその言葉の続きを止めました。

お客様の話をしちゃダメだと。


とても珍しいことだったのに。

たぶん、記憶にははじめてだったのに。


入院中もずっと仕事の話をしていて、退院したら仕事をするから、わたしたちが引っ越した先とは別に仕事道具を保管する場所をお願いと言っていた。

だから、わたしは最後まで父にはその仕事の人間として生きてもらいたい、と思ってしまったんだと思う。


それは家族であっても、と。


でも今は、あの時聴いてあげられたらと思う。

話したかったんだろうなと思う。

とても悲しい。


話が少し変わるけれど、Xから仁科勘次さんのポストが目に入った。


占い師を対面でも、電話でもしていると、このようなツインレイの話題は出てくる。

わたしが書こうとしていること、たぶんもうここまで読んでくれている人には伝わっている部分もあると思う。


まずは、相談をしてくれたそのお悩みの内容を、全世界に拡散していいと許諾をそのお相手はしているのだろうか。

この方からは、自身の発展を目的とし内容を公開している意図を感じてきてしまう。

そうしたものは珍しくはないのだろう。

ただ、悩みや相談というものは、話された相手だから許された大事な契約だ。

わたしは仁科さんの普段行っている内容を知らないけれど、金銭も受け取っていたらなおさらそこには仕事としての責務が発生し、守秘義務があっておかしくないのではないのだろうか。


たぶん、わたしが占い師としても浮いているとは思う。


読むに先日のわたしのブログでも書いていたBUMP OF CHICKENのかたについての相談ごとのようだ。

ヒアリング・確認は占い師にとって必要だけれど、それを用い相談をしている方を追い詰めていることも気になる。

追い詰めると書くとわかりにくい。

それを感じるのは『質問』の用いる順番のようなところからわたしは感じる。


ツインレイの相談は占い師をしていて多いと感じるが、そもそもそれを返答のできる『占い師』は存在しない。

そのことを占い師をしていたらよくよく考えていかねばならない。


理解などしなくていい。

できないのだから。

考えること。


相談をしてくれた方は悩んでいる。

それは普段会うことも、話すこともない相手がツインレイではないかと話す。


まず、わたしがツインレイの相談に返答のできる『占い師』が存在しないという理由を書く。


そもそもなのだが、占い師が話す話は「回答」ではないことをそこは理解をしなければいけない。

算数の1個の林檎ともう1個の林檎が籠に入りました。

もともと籠には一つの中身もない空の状態でした。

それではその1個の林檎と1個の林檎が加わっている間はなん個の林檎が籠の中に存在していることになりますか。


それくらいの明確さのあるものへの回答はあると思う。


ただ、占いで相談されるものは「回答」が存在するものは多くない。

ほとんどない。


そうであればどちらが正しいかなどないことが多く、そして優劣を占いの相談者と占い師の間に発生させようとする姿勢が含むとしたら、それはどこか違うように感じる。


その上でツインレイの話題に戻ると、たぶんどの占い師も知識としてツインレイを捉えているはず。

であれば。

アップデートが必ず必要だということをまず前提に捉えておく必要がある。


そしてツインレイは知識ではない。

体験のはずであると考えている。


体験は、その名の通り、体験したものに得られる感覚でもあり、それをどんなに知識で説明しようとしても、体験をしていない者にはただただ「言語」というものになる。

そのこともツインレイの相談を受ける側の占い師は認識しておかなくてはと思う。


例を出せそうだとしたら、バンジージャンプの体験があってそれを伝える時、知識で説明はできても体験を相手に与えることはできない。

それはそうだ、と理解がしやすいはず。


それと似た形で書くと。

ツインレイも、知識の説明を与えているに占い師はすぎない。

しかもその占い師はどこまでその知識の根源を捉えたいと努力を重ねただろうか。

自分に問う必要もある。


知識があったとしても、その精度まで考えようとしているだろうか。

思考・認識・知識は時代によって、環境や生き方によっても変化がある。

だが体験は揺るがない。


そしてBUMP OF CHICKENのツインレイと話す方の相談の話をするのならば、その方にとっては『体験』でもあることを慮ってみてもいいはず。

相談・悩みは必ず、“分解“が必要だ。

とくに占いで相談をされることは、相手が悩んでいるということ。

助けてくださいと占い師にHELPを伝えていることだって大きくある。


仁科勘次さんは、Xのポストから引用してしまうが、『 ー ツインレイを訴える人は大体同じ終わり方だよな(改行あり)と、己の不甲斐なさに落胆した』とあるが、言葉が一致していない。

いや、仁科さんはこうしたことを伝え反省されている可能性も文章からはとれる。

自分にツインレイの相談を訴えられてしまうといつも同じ結末にしか相談を導けない、と、己の不甲斐なさに落胆した。

それなら分かる。

この仁科勘次さんの最後の言葉からは、己の不甲斐なさの説明の言葉に聞こえない。

いや、思っていないとも受けとめられる。

本当に不甲斐なく落胆までもしたのなら、改革してもらいたい。

もうそうした導きにしか誘導をできないのなら、ツインレイの話題をされても専門的ではないことを事前に説明をする必要だってあっていい。


そのままでいるのならば、胃を患っている方が精神科に通ってるようなものにさせていることを理解しなければいけない。


そう、わたしはとても占い師に厳しい。

自分の占いの姿勢にもいつも真摯であらねばとも思うが占い師と精神科医にとても内面では厳しい目で見ている。

そうでもしなければ占い師は存在していいものではないと思っている。


悩み…とタイトルに書いていたブログだった…。

その悩みは、わたしは多額を要して占いをする姿勢がよしと思えず、また葛藤をはじめだしている。


だからそうした職場から離れ、自分と繋がる方を、お茶代をお願いして占う。

最初は千円をいただく。

領収書も用意している。

でも時間は問わず、2回目以降はお金は頂かない。

そうして占い師を続けていた。


手相・数秘術・名前の音・タロットカード・ルノルマンカードが主だったる占術だ。


これからは電話占いなので手相はできない。

大好きな手相ができないがしかたない。


そう、1分数百円の世界にまた入ろうとしてる。

だからわたしはそのことを深く考えていたい。

そして出会った人を、わたしに相談をしてくれる人の話を真摯に誠意を持って向き合うこと。


仁科勘次さんとの姿勢くらべをしたいのではありません。

なので、悩みはあくまでわたくしごとの悩み。


今回、仁科さんのXを出したのは、ツインレイという話題も加わったからだと思っています。


わたし自身がツインレイをどう捉えているか。

そこは書く必要はないかとも思っていたけれど、終わりにそれにも触れようと思う。


でも、先に書いたとおりで、ツインレイは体験であるとは思っています。


そして以前もこのブログに書いたことはあるけれど、数年の間に知られてきているツインレイというものは宇宙の計らいだと思っています。

なので、一直線に自分自身のツインレイに辿り着けていないこと、そうした相談があったとしても軽んじるべきものではないと捉えています。


なぜ、ツインレイがこれからの時代に必要かというと、必要であるからだと考えます。

何を言っているんだと思うだろう。

けれどこれからの世界、概念や社会の構造から選択をしていく生き方では人類は絶命の道を進む可能性があるからだと考えています。



ここからは、わたしが昔に宇宙の声を臨死体験をした際に聞いた内容から近年考えるツインレイのことなのだけれど。

『宇宙の核』と『太陽』の「音」。

その二つがツインレイの根源に今は思っています。


そしてツインレイの知識として知られることのひとつ。

お互いが似ているということ。

特に身体的な部分でいうところ。

そこはアダムとイブの骨の話にもなってきます。

でも、これはわたしが宇宙から聞いたもので、わたしは聖書のような知識が薄く、これ以上の内容は誤りや時代との齟齬を思うとブログに書くことができません。


『宇宙の核』と『太陽』の「音」、とは書いたけれど、それは音波なのかもしれないし、互いのエネルギーなのかもしれない。


でも、まだここから先は書いてはいけないようなので、わたしの思うツインレイ概念はあまりに一般的なものとは違うので今は書くことが叶いません。


でも、最後に。

ツインレイは体験です。

その当事者の体験であるのです。

なので、ツインレイの知識をいくら語ろうも、それがたとえ正しくあったとしても、体験をした者にしか届かず響かない部分もあります。

そうであっても、この時代、ツインレイに共鳴を示す人が増えていることは、必要であるからで、それは宇宙の計らいでもあると考えています。


もし、このブログを読んでいる人でツインレイのことで悩んでいること、疑問や、自分の経験や体験である出会った人はツインレイなのかと考える時間があるとしたら…。


それはそうだと思います。

先ほど書けない内容のひとつ。

ツインレイは『宇宙の核』と『太陽』であるからです。

だから、あなたがツインレイだと思うのは当たり前で、それで悩む自分自身を何かしら思い悩み、同じ悩みをしている人を探すことは一度休憩にしてもいいんですよ。

書いたように、体験を語る言葉はあくまで言葉。

そして体験はその人間を通してしか得ることのできない感覚であるもの。

それを共通認識としてツインレイストーリーと呼ばなくとも、わたしたちはツインレイであるものの一部です。



わたしたちが暗闇に手を導かれそうになった時。

どうか、その暗闇の色と温度と音を丁寧に五感で捉えていくことを失わない感覚でいますように。

暗闇は必要な闇かもしれない。

暗闇は本当の闇かもしれない。

そして見せかけの光の音を捉えたいといよう。

でも、闇は光と共にあるもの。

このすべての存在の音の中心が聴こえてきたら、わたしたちの恐れるものは宇宙に還り、そして微笑みを浮かべてくれているものがある。

そのことをわたしは憶えていたい。



仁科勘次さん、どんな人なんだろうな。

わたしの目線で話して一方的にブログにしていますね。

でも、今回は仁科さんを責めるブログではないから、こうしたことを書いていることを伝えねば…ということは思わずにいますね。



マリー