転生の回数という解釈について思いを馳せる。愛するORANGE RANGEの存在。

こんばんは、マリーです。

体重の記録に取り掛かろう…と今日は思ってみたのですが、その今日の時間はこのブログを読み返す時間にあてました。

というのも、昨日は自分の中の感情があまりに破裂をしてしまって…苦しくて自分しか心には存在していなく、誰の人生を顧みる必要なんてなく、この人生をどうしても自分のものなんだと、身勝手な感情に支配され行く日を過ごしていました。


わたしはお風呂では、まず予洗いというのでしょうか?

湯船に浸かる前に、シャワーを20分〜30分程かけます。

それから湯船に入り、また上がってから10分〜15分かそれ以上の時間をかけて仕上げ洗いをしています。


水道代が恐ろしい金額になります。

それでも、わたしには必要な行程です。


昨日はいっそうのこと大事な時として、大切に自分を洗いました。

今日も顔を洗う際に、大切なもの全てを取り戻していきたいという感覚で、あらゆる願いと祈りを込めて顔を洗いました。


そして、このブログを読みました。

私への手紙ブログ。

そうこのブログを呼ぶことがあります。

本当にそうだと感じているし、確かに私の軌跡であると思えました。

そして、自分自身が投げた言葉はけっして私一人のものではなく、全ての人類・歴史を背負い積み重ねられた人生あっての言葉であると、個として生きていくことなど出来ぬ弱さを再認識していました。


私たちは現代を歩んでいます。

2025年1月6日、月曜日を地球の中の日本人は生きています。


私は昔から過去生というものに興味がありません。

占い師をしていた時期に頼んだ訳ではなかったのですが、同じく占い師の方より私は過去生では修道院のなんだかだと話をもらったのですが、その時もその方へ口頭で話はしたものの興味があまりに無く、その話も修道院の修道女でその中の何か役職等も話があったはずなのですが覚えていません。

それを見てくださった方の想いを否定したくはありません。

また輪廻転生という概念的なことに関しても否定の意を唱えるべく書くのではありません。


私自身は輪廻転生というものはきっとあっておかしくないのだろうな…とは感じつつも、飽くまで私の人生にとって無意味な空想のひとつであるのです。


私は、ORANGE RANGEを好きでいます。

2003年の年末ごろ、当時ケーブルテレビの音楽番組を流すことがよくあり、そこで恐らく当時のPVのランキングを見ていたはずでした。

そこで「落陽」を見た時の衝撃はいまも失うことなく心にあります。


そしてその「落陽」のYAMATOさんのパートは、私の中に種子として存在していた祈りを一生のものへ変えました。

その歌詞をここに記します。


一生一度きりの自分
先は見えないけど先へ進む
毎日毎日が同じように見えて
だけどそうじゃないから先を行く
時は止まるコトを知らぬ
だから僕らは歌う

ORANGE RANGE 「落陽」より


事あるごと、この歌詞に心を正してもらい力を分けてもらえ、それは勇気へ変わり、そしてまた生きる足をもらって今という奇跡をもらい続けています。


過去生や未来世の考え方に希望を見出せる方はそれでいいんです。

だってそこに祈りの焦点をあてることで命にしているのですから。


ただ、私はこのORANGE RANGEの「落陽」のYAMATOさんの歌詞に一生を救われ続けています。

それから何度も本気でPVを見ました。

当時のVHSで録画したものを何度も止めては、早送りで見えない画像の全てを目に焼き付けるくらいに見ました。


ORANGE RANGEなら生涯を掛けたって今だってそれくらいで応援しているけれど、そんな感情を彼らは一切望まないことも知っています。

恐らく2001年、もしかしたらその前かもしれません。幼馴染や兄弟にて結成。

北尾一人さんは関西のご出身でしたでしょうか。誕生日も今も記憶しています。

当時は北尾さんのご家庭が営む料理屋へひとり旅を計画するのが楽しみでした。

2002年02月22日、インディーズデビューの日だったはずです。

今もオレンジレンジはこの2月22日を大切にされ、今年の2025年も縁舞という主に対バン形式のライブがあると記憶しています。

2003年06月04日「キリキリマイ」にてメジャービュー。

その年の年末、テレビで「落陽」を目にしたのです。

恵比寿のガーデンプレイスにあった書店で雑誌を探し開きに開くとワンマンライブのお知らせを発見。

だけれど時すでにチケットは完売。

けれど、翌年の2004年から私はZeppTokyoを機に、毎年のようにORANGE RANGEのLIVEへ行っています。

初めてORANGE RANGEのライブでZeppTokyoへ行った日の写真

初めてORANGE RANGEのライブでZeppTokyoへ行った日の写真


私は昔から誕生日や、日付と思い出を記憶することがわりと得意です。
日記を付ける習慣を中学生からつくっていたからかもしれません。

でもそれ以前の保育園や小学校の頃の同級生の誕生日も、けっこうな人数分の記憶があります。

なので、たとえば10年前として2015年1月6日はこの頃はこんな日常であったなと、わりとすぐに記憶を振り返ることができます。


こんなに、たくさんの記憶をこのひとり分である私に抱えています。

もはや、それ以前の人生に思いを馳せる余裕は私にはありません。


そしてここ数年でしょうか。

輪廻転生の回数についての話題を見かけるようになりました。

その中には8回で完了するなどの話や、人間として生まれ変わることのできない人もいるなど聞くこともあります。

きっと何かの記憶をともなう方の情報だったり、いわゆる天からメッセージをおろせる方も存在はするのでしょう。


でも、それを体感として持つ人がいて、はたしてそれを事実のように世に広める理由を説く人をこの情報の拡散と共に見ることが少なく思っています。むしろ見ているように思えません。

以前に書いたブログです。別タブで開きます。

読まなくても大丈夫なようにこの後ブログにしますので、もし気になる方がいたらこちらも読んでもらえたらなと思って載せますね。

リンクの日のブログにも書いていますが、その情報の根源となるところを意図を持ち伝えないなら仕方なくとも、詳細に語ることのできぬ方に関しては、一切の鵜呑みをする情報には至らなく、あくまでの己への気付きに留め、その後の見解や果たしてその情報はどこまでの解をともなったものであるかは、本当に己の歩みで見定めるべきものだと思っています。


私自身はこの人生の輪廻転生の回数を最近自分の中で見出しています。

ここに書くことをすべきとある意味で判断をしたので、ここ最近の情報と併せた見解にはなりますが書きたいと思います。

その至った答えは、私は、輪廻転生一度目の人生だと、改めて思えました。

というのも私はこの人生はこの人生が初めてだとずっと感じていたからです。


ただ、その輪廻に8回の回数があるのだとしたら、その話を知ったからこそこの考え方に納得のできるものができたのですが、私の人生、八回目が完了した上で、もう一度、一回目を求めてこの地へ誕生していることを思えています。


少なくはない人の数が、この輪廻転生の中で自分は何度目の人生であろうかと思う経験があることを知りました。

私が興味がないからでこの話題を終わらせたくはない。

だって、多くの人がもしかしたら自分の回数を想い、そこに恐怖や不安を見出している可能性を感じているから。

だから私は声のボリュームを大きく上げる。


上げた途端、言葉が出なくなった。

きっと、これ以上は書く必要は無くなったように思えます。

この先は、このブログを読んでくれた人が想像を広げ描き創る世界なんだ。


そう思いました。

あなたの歴史を私はいとおしく思います。

それは美しさがあり、情緒があり、軌跡の中に涙が浮かびます。


どうかその愛しいあなたの心を感じて、失わずに、離さないように、何がなんでも抱え続けてください。

私の最大級の祈りです。

愛しています。

愛しているので、生きてください。


マリー


〈 …このブログの終わりに… 〉

じつは、ここ最近はこの輪廻の回数についてけっこうな頻度で焦点を当てて考えを巡らしていました。

八回という転生上限がある。

そして七回目まではなんとか人間として歩むことができるが、この八度目はとても酷なものとなり得る可能性があり、大半の人は七度目止まり。

そして何度も人間として連続で生まれることは難しく、この八度目の転生に成功する人は稀中の稀である。

だからその連続人間転生回数が八度目まで行くことは神をも超越をするのでは…という情報を見聞きし、とても納得をしました。

それであったとしてもです。

私は何度でも望んでいいと思っています。

人間に連続転生する必要もなく思います。

人間界に生息するあらゆるモノに成りたいと望んでも、もはや地上の目に見えぬ天使のような遣いにすら転生を望んでいいのだと思っています。

悪魔や堕天使だって、本人が望むのならです。

だから、私は輪廻転生の回数が8回が連続で人間として生を授かる最上数だとも思えていない考えに至っています。

望みましょう。

あらゆる望みを心に描き、それを今世でやり遂げる勢いでこの性を生き切りたい。

そう生きていたら、そしてある私は堕天使として生きたとしてもいいとも自分に許します。

そしたら、私たちは永遠の輪廻を可能にするのではないでしょうか。

最近はずっとそう思っています。


ここを声のボリュームを上げてから書いていくはずでしたが、急に言葉がふっと消えてしまい、今となって当日の21時過ぎから書き始めています。

なのでブログのアップ時にはここまで書けていませんでした。

ここの言葉と出会ってくれた方は、きっと読む意味があるのかもしれません。

ないかもしれません。

どう捉えてもらっても、どう受け取ってくれてもいいものなんです。

あなたはあなたの描く歴史を生き、あなたの人生があります。

その全てを私は愛して行きます。


改めまして、マリーでした。


ブログのUP時刻 18:18
ブログの追加更新時刻 21:21



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この記事を書いた人

30代後半。
日課にしている体重記録と日々の思いをブログに書いています。
精神的な病による入院・再発歴あり。
少しずつ唯一無二の自分の存在を愛おしくなるような、また自分自身を見つめる時間になるようなブログにしたいと思っています。
よろしくお願いします🌿

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